おいしい食事って? - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

おいしい食事って?

  • 2005.12.21
今日は本題に入る前にみなさんに質問です。
いえ、単なる私の好奇心ですので、あしからず。
レストランまたは家で食事をしていて、
「美味しいお食事だった!!」と心から言えるのは、どんな時ですか?
「あぁ美味しかった!」だけじゃなくて、その後に「あぁしあわせ~!!生きてる実感がある~!!この世の極楽じゃ~!」と言える食事のことですよ。

ちょっとおいしい、とか、
なかなかおいしい、とか、
ここがこーであーだからおいしい、とか
そういうものではなく、
「おいしい食事」から一線を越えて、別の次元の「おいしい食事」に行く時です。
ヘンなこと言ってます??わかりますよね? 
わかりやすく言うと・・・・・・えーと、舌と脳と心と神のような存在が四位一体になるような食事ということです。(もっとわかんない?(∩_∩;)
もっと率直に 「しあわせな『食事』って何ですか?」と聞けばいいんですね(笑)。
みなさんにとって、それを決めるのはどんな要素ですか?

もちろん、料理が美味しいというのは大前提ですが・・・

料理の味
一緒に食べる相手
インテリア
食器
バックミュージック
窓からの眺め
レストランの感じの良いサービス
衛生感
デザート

などなど・・・いろいろあるかもしれませんね。

よかったら楽しいので、次に更新するまでに聞かせて下さい♪


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みなさま
いろいろな「一線」を聞かせて下さって、本当にどうもありがとうございました!
一生懸命書いて下さって、読みながらジーンとしたり、なるほどと納得したり、そうそうと同感したり・・・。それぞれに百様の一線を越える「カギ」があるものですね。
きっと皆さんも他の方の書き込みを読んで、ふむふむ!と思われているのではないでしょうか。
やはり、別次元にワープできる食事というものはそうあるものではない、というのが共通していることでしょうか。
ワープするためのカギはその人にしか利用できないものであって、誰かに渡したからといって、ドアを開けられるものではないんですね。


「美味しい食べもの」はいろいろありますね。たくさんあります。
それを食べれば、確かに嬉しい気持ちになるし、満足です。
「美味しい!」というものはその時のコンディションにもよるし(お腹が空いていたらなんでも美味しいように。)、今では食材も豊かで、美味しいレシピもいろいろあって、おいしさを手に入れようと思ったら比較的簡単に手に入れることができますよね。

でも、「ブチッ」と一瞬にしてこちらの世界を離脱して、あちらの世界に飛び越えて行ける食事はそうあるものではありません。
そういう時は幽体離脱(…したことないけれど。 ∩_∩;)くらいの飛翔感と、五感が満たされた現実感に深い官能さえ覚えるものです。
その大切な鍵になっているのは、私にとって何かって・・・実はいままで自覚したことがありませんでした。

ただ、明らかに感動を覚えるくらい美味しいものを食べていて、「あちら」側に行きそうなのに行けない・・・そんな経験は何度もあって、そういう時はかすかに落胆とフラストレーションの入り混じった薄い膜が私の心を包みます。

そう、例えば、
クリーンエリザベスに乗ってデッキで見送りの人に手まで振っていながら、永遠に出航しない気持ち。

あるいは、
宇宙服を着こんでロケットに搭乗したはいいけれど、いつまで経っても発射しない気持ち。

または、
完璧にドレスアップして出席したのに、王子様がひとりもいない豪華絢爛な舞踏会。(ちょっと違う?笑)

それはそれで幸せな経験なのですけれど・・・。

・・・・・・・・・

そんな私が、久しぶりに「しあわせ~」とアチラ側に行ってしまったのはリヨンのレストラン、Chez Leaででした。

一緒に食べる相手は、夫とその友人、これはリラックスできるという点で一役買っていたかもしれません。
インテリア、どうってことのない小さくて簡素なお店のインテリア。
食器、も普通です。
バックミュージック、は喋るのと話を聞くのに忙しくて…でも、なかったと思います。
窓からの眺め、なし。
レストランの対応・・・フランス語がわからなかったら、愛想が悪いんじゃないかと思えたに違いないマダム。

そういうことでは全然ないんですね。
そしてわかったのです。
私にとって「鍵」が何かって・・・・それはなぜか・・・、なんだと思います?

みなさんが書いて下さったような、心情的なものも、驚くような料理も、非日常的な空間もなく、極限の空腹でもありませんでした。
ごくごく普通の状態で、ごくごく普通の相手と、ごくごく普通の食事で、でした。ただひとつ違っていたのは・・・(←出典:奥様は魔女)


液体だったのです。
つまり、飲み物です。


身を切るように寒いリヨンの町を歩き回った後、乾いたのどを潤すためにジューシーなBrouilly(赤ワイン)を駆けつけ一杯で飲み干しました。口の中がさっぱりしておいしかったのですが、次に飲んだCôte Rôtie(これも赤ワイン)・・・・・・
このCôte Rôtie・・・・・・
このコート・ロティ・・・・・・
(実はこの時まで全然知らないワインでした・・・)

一口唇をつけただけで、翼が生えてアチラ側にひょいと飛び越えてしまいました!
まるで魔法の薬みたいに!
生きている実感が全身、全神経にみなぎって、陶酔で震えてくるようでした。

美味しい料理だけを食べたときと、それに合ったお酒を飲んだときの料理のおいしさは、何乗にも違うと感じてしまいます。
ワイン(か日本酒)が口とお料理に合わないと、「美味しくて満足♪」だけれど「ブッチ切りしあわせ~!!(笑)」とはなりません。
食事の最後までどこかしら居心地の悪さが付きまとうのです。
お酒だけが美味しくても、料理に釣り合っていなかったら、やっぱり一線を越えられません。
両方が釣り合っていても、両方ともにものすごく美味しくなかったら、やっぱり超えられません。
なかなか、一線を越えるのは大変です(笑)。

でもこの両者が合った時には・・・・・  











↑もう書けない位、頭の中がワープしています(笑)。
料理の味を何倍にも何十倍にも、宇宙にまで引き上げてくれるんですよね。

私はワイン通でもないし、日本酒のことも全然詳しくないし、酒飲みでもないので、銘柄や品種がどうのというのはわかりませんが、単に飲んだ感覚だけを頼りに言ってるんですよ。

お酒だけじゃなくて、美味しい和菓子に美味しい緑茶が欠かせないのも一緒。
朝の目覚めやデザートに深い紅茶が欠かせないのも。(朝から紅茶で一線は越えませんが。笑)

そう思って考えてみたら、以前食べた懐石料理で一線を超えたのは、やっぱり汁物。出汁の効いたお吸い物と澄まし汁の煮物でした。
そして「生牡蠣」だけは日本酒や白ワインがなくても私にとって一線を越えられる食べ物です。逆に飲み物があったら超えられなくなってしまいます。なぜかって・・・牡蠣の中にある汁がすでにお酒以上に美味しいからです。

液体が、自覚していた以上に私にとって価値のあるものだったと気がつかせてくれたレストランでした。
もっと美味しいレストランもあると思います。でも、お酒+料理の黄金のコンビネーションで、私は久々に一線を越えてしまいました。

20051227151959.jpg


Chez Léa
11, place Antonin Gourjou
69002 Lyon
tel 04 78 42 01 33 (要予約)


写真の料理、全部私が食べたわけではありません(いくらなんでも。笑)
友人夫婦と四人で頼んだもの。
上からフォアグラ入りパテ・クルート、温製クリーム牡蠣、豚の胸の部分のゼラチン質のフライ(確か)、子イノシシの肉、シャルトルーズ(Chartreuse:薬草のリキュールで消化を助けるため食後酒に飲む強いお酒)のムース、食事のお供1999年生まれのサビンヌちゃん(赤ワイン)、ノルウエイ風アイスクリーム。どれも押し付けがましくない、それでいてちゃんと素材の存在感を感じる品のある味つけでした。
頼んだのは39ユーロのメニュー。ワインとあわせて1人60ユーロでした。
話もはずみ、レストランを出たのは0時をとうにまわっていました。


でもみなさんの書き込みを読んで、まだお酒を飲まない子供の頃にだって、「忘れられない味」があったのを思い出しました。
父が作ってくれた特大おにぎり、
入院中におじいちゃんが差し入れてくれたメロン、
家族で珍しく休日に行った中華レストランのかにチャーハン、
落ち葉で焼いた焼き芋、
寒い外で大きなお鍋で炊いた町内会の芋煮汁、
父の郷土料理を母が勉強して作った鰊と高菜の煮物、
熱を出して食欲がなかったときの母の小にぎり、
山形の蔵王で父と食べたコンニャク煮、
日差しでカラカラのタクラマカン砂漠でむさぼった生暖かいスイカ。。。
(書き出すと止まらないゾ)

それらは、まさしく「一線を越えた味」として、時の裁きにも勝ち残った食べ物です。
むしろ、食べたその時に一線を超えたというよりも、「時とともに重みを増して、一線を越えるに至った味」と言った方がいいかもしれません。

これから先、どれだけの食事が五感に刻まれていくのでしょうね。
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