異文化に出会ったら - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

異文化に出会ったら

  • 2015.12.09
異文化に出会った時、いろいろな段階を経ていきます。

① まず、違いがあることに気がつかない。  

ナナの場合、ファミリーが晩ご飯を食べないなんて思いもよらない。
(ホストファミリーは、ナナが晩ご飯を待ってるなんて思いもよらない。)


② 続いて、違いがあることに気づく。

あれ、晩ご飯を食べない日が続く・・・?
隠れて食べているのか?外で食べているのか?なんなのか、よくわからないが・・・?

ハテナマークが頭の中に浮かび始めてきたら、
これが、カルチャーショックの始まり


③ そして、違いが何なのかに気づく。

毎日晩ご飯を食べる習慣がない!

(ホストファミリーは「あなたのお母さん、ひょっとして毎日ご飯作ってる?」とナナに聞いた時点で気づく。)

自分の過ごしてきた環境の常識内から外れてる  ことに気づきます。


④ 観察の結果、その違いの原因に気づく。

各自適当にスナックなどをかじって済ませている。
一度に沢山食べるのは健康によくないと思っている。
なので、一日中、ちょこちょこ食べている。
肥満を防ぐために食事を取らないことが良いと思っている。
甘い飲料やお菓子を摂って空腹感がない。
料理が面倒で、誰も作る人がいない。

それなりの論理があるわけですね 


⑤ そこで考察するのは それは、カルチャーの違い?国全体か地方によるか?
それとも、個人的なもの?


各自適当に済ます、というのは合理的なアメリカ的かも?
ダイエットのため食事を抜く、というのは一部のアメリカ人?
でも、手料理がほとんどないというのは、この家庭のものらしい。

知識や情報が助けとなります。


⑥ そこまでわかれば、対処する必要があるのか、そのままにするか。

対処する場合、どう対処するか

ということになっていくわけですが・・・



想定外だらけなのも海外生活

相手を宇宙人と思ってごらん。
そうしたら、
「察してくれる」とか
「わかってくれるはず」
とは思えないでしょ?
宇宙人なんだから、こちらの常識は通用しない。
相手にはわからない。
自分から言わなきゃ絶対にわからないよ。
ちゃんと、穏やかに説明してごらん。

と、
「そんなこと、言ったら重すぎない?」
「失礼にならないかしら・・・」
「いくらなんでも、そこまでは・・・」
と遠慮しっぱなしのナナに何度も何度も言っています

まぁ私も最初は超が付くほどそうだったので、わかりすぎるほどわかるのですが・・・

今では「言わなきゃわからない」と思う私でも、いまだに
「ああやっぱり言葉が足りなかった」
と思うほど、そもそもの文化の立ち位置が違う、ことが後を絶ちません。

どちらが正しいというのではなく、背景が違う上での言動。
「違う」ということを自覚したところから、コミュニケーションが始まる・・・
「同じ」相手とコミュニケートするのは楽しいし、ラクだけど、
「違う」相手と沢山壁にぶつかって、砕けたり、よじ登ってみたりして
初めて乗り越えて、何か理解できるものもある。
エネルギーの要ることだけど、よりよく生きていくために欠かせない努力だと思うから、
そういう姿勢を是非身に着けて帰ってきてほしいなと思っています。

「どうしてなんて理由はいいから、そうなのか、じゃぁどうする?」と 直進で次に進めてしまう、実践的な夫のようなタイプもいますが、
「どうしてそうするのかなぁ?」「その原因は何なんだろう?」と考えないと私は先に進めないタイプです。
相手を理解できると、こちらも腑に落ちて気分が楽になるし、
意外なことがわかったりするところが、面白い。
「ひどい!」と悲しくなったり、腹が立ったりしたことも、見方を変えればそうじゃなかった、とわかることも多々あります。

もともと違う、ということがお互いにわかっていると、かえって自由な関係を築けて、
逆に「私たちって同じよね」という枠組みに勝手に入れられてしまうほうが、窮屈に感じたりすることもあります。

異文化に出会った時、というのは顕著なものですが、それが同国人であっても、夫婦であっても、
違いを認めて関係を作っていく、というのはどんな人間関係でも同じことですよね。
関連記事

2 comments

非公開コメント