規則を守るということ - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

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規則を守るということ

  • 2014.03.20
(またまたものすごく長くなってしまいました 長文お許し下さい)


2つめのファミリーに移って2週間ほどして(こんなことがあったりもした後)、学校から留学斡旋クラブに連絡があり、フィリップはほとんど授業に来ていない、とのこと。

私たちにとっては、あぁまたか、と最早驚くにも値しない彼の行動ですが、さすがに斡旋クラブは業を煮やして学校に出向きました。
そしてやったことは何かというと、学校側とフィリップと相談の上、フィリップがどうしても出たくない授業には出なくて良いとし、彼が最低限学校内に留まっていられるような時間割編成に変更して「今度授業をサボったら帰国してもらう」と本人にお達しがありました。

フィリップのお好み授業編成に変更したのは、彼がやって来て2ヶ月以内にすでに3回もやったことで、「今度授業をサボったら帰国してもらう」というお達しも、その間に一度下っているのですが、本人は「もう二度といたしません」とメールでクラブに謝った3日後にすでにブッチしました。

そして、
「どうして午後の授業に出なかったの?」
と聞いたナナに
「うっかり忘れてしまったんだ。」
と即座に返事をした話に繋がっているのでございます。

ですので、そんなお達しなどでもないフィリップだと思うのですが。

それでもクラブは寛容に、若者が最後まで留学を続けられるようあれやこれやとオーダーメイドの配慮をしてあげる、その大らかさはフランスが文化の違う移民を多く受けいれるエスプリとも通じているようで、頭が下がる思いです。

と同時に、実際のところ毎日の世話をするのはホストファミリーで、苦労をするのもホストファミリーです。

裕福で寛容なおじいちゃまおばあちゃまのクラブの方たちの後援のおかげで、各国の若者がこうして留学をさせてもらえるのですが、結局のところ、フィリップ程度の悪さはクラブの方たちには直接関係がなく、目に入れても痛くない孫世代の若者たちが国際交流の名のもとでやって来て、フランス文化に触れることを『若い子たちに見聞を広げるチャンスを与える、そのスポンサーをしている私たちは素晴らしいことをしているんだよねぇ』と実感できることが一番で、このシステムを支えているわけです。(ということは以前はもちろん知る旨もありませんでしたが、今回のことで私が実感したことです。)

もちろん、素晴らしい行為なのです!
ただ、もっと恩恵を受けるにふさわしい真面目で意欲的な若者は、他に沢山いるに違いないのに、特に貧富の差の激しい発展途上国では裕福な家庭の子でなければ参加することは不可能、ということが本当に残念なことだと思います。
フィリップを毎日励ましながら、大義名分のもとに意欲がない子に流れる後援金と、関わる人々の時間と労力が、ドボドボとどぶに流れていくような虚しさが、ひゅるる~ひゅるる~と音を立てて私の心のすきまを広げていきましたが、これもまた世の不条理なのでありましょう。

なのでクラブにとって一番困ることは、フィリップが授業をサボって勉強しないことではなく、本来学校にいるべき時間に学校以外の場所に留学生がいて何らかの事故があった場合、保険など責任の在り処に困る、ということだけなのです。
それで、とりあえず最低限の時間帯は学校内にいられるよう、時間割を編成し直し、「まぁがんばってくれたまえ」とゆる~い励ましを下すわけなのでした。ましてやいつも愛くるしい笑顔のフィリップのような子は、大変受けがいいのです。

留学に来たんだろうが、ちっとは勉強しろー!やる気を見せろー!人としてもうちょっとまっすぐ生きろー!と、母としての怒りを感じる私と違って、帰国者を出さずに留学を成功させたいクラブの心配は別のところにあるために、双方の努力は別次元のもとで行われ、その2重構造がフィリップという青年をここまでいさせる結果となったのです。

例えて言えば、政府のお偉方がイデオロギー的寛容さを示すためや政治的取引のために移民をどんどん受け入れますが、実際にご近所さんとして暮らす努力していくのは市民レベルだ、というのに似ています。

ですので、家庭にやってきた子がフィリップのように心理的に問題を抱えている子の場合、ホストファミリーママとしてはある種孤独な闘いです。

授業中寝ていようと、何をしていようと構わない、とにかく規定の時間内に学校にいて問題さえ起こさないでいてくれれば、クラブとしては「あとはよきにはからえ」なのでございますから、私も「毎晩メキシコ君のために買ったビールを何本も冷蔵庫に入れて用意している」メキシコ君のホストファミリーのように、ゆる~くゆる~く構えられたらどんなにラクだったかと思うのですが・・・

はっ?未成年の留学生のために冷蔵庫にビール?で、できん・・・・私にはできん・・・

と絶句した私、そう出来ないのも性格なのか、経験不足からなのか。

そういう堅い我が家に来てしまったフィリップもご愁傷様だったかもしれません。

規則があればそれに沿う。
それが当然だと思ってきました。
規則に沿わなければ退場。
そうやって育ってもきました。
規則を尊重することは周りを尊重すること。
子供たちもそういうものと思って育ててきました。

だけど、フィリップはそうではありませんでした。
規則に「沿えない」彼に対して、周りが動いて彼に合わせる。
「規則」の幅を広げ、「彼」との妥協点を見つけ、退場させずにプレイを続けさせる。

トトだってアメリカの高校での授業のほとんどが、最初は英語もわからずつまらず、出席しているだけで苦行だったにしろ、それが「規則」だから従っているわけです。トトだけでなく世の多くの生徒がそうしているわけです。面白い授業は別にして、つまらない授業に出る理由はただ1つ、それが「規則だから」です。
規則を破って罰せられることがなければ、誰一人教室に残る生徒はいなくなるに違いありません。

最初はなぜフィリップが規則を守ろうとしないのか、私にとっては「当然」のことをしようとしないのか、努力をしないのか、理解に苦しみ、腹も立ちました。

でも彼にとって「規則」など、そもそも「守る」ものではない、という環境で育っている。このギャップはすべてそこから来ている、ということに気がついたのです。

出たくない授業の時には仲良くなった保健の先生が顔パスで保健室に入れてくれ寝かせてくれる。(だから保健の先生と仲良くなることが何より大事)
学校に行きたくない時はママに「頭が痛い」と言えば学校に一筆書いてくれる。(だからママに可愛がってもらうことが大事)
成績がふるわなくても、先生と酒を飲んで話がはずめば心象が良い。(だから先生と仲良くすることが大事)
酒を飲んで明け方帰宅しても、兄貴が家にそーっと入れてくれてママには黙っててくれる。(だから兄弟仲良くすることが大事)
飲酒運転でつかまったら、警官には街の有力者であることを示してチップを払えば済む。(だから金持ちとステイタスを持つことが大事)
国も商売も汚職で成り立っているから、「規則」は表面的なものでしかなく、実際に生きていく上で大事なことはお金とステイタスと笑顔で人に取り入ること。その術を生まれたときから身につけながら育ってきた。

ところが、我が家に来てみれば、どんなに実家のステイタスを見せびらかせても通じない。笑顔で機嫌を取ったところで、規則というものに連れ戻される。自分に都合よく事を運ぶために今まで身につけてきた技を駆使しても反感を買うばかり。私たちにとってカルチャーショックだったように、彼にとってもどんなに鬼ホストマザーだったことでしょう。

でも、そんなフィリップと一緒に暮らすことで、私も本当にいろいろ考えさせられました。
自己中とも思えるエネルギーを持ったフィリップを、全体としては周りが許容して合わせて動いているではありませんか。
そして少しでも改善されたように見えると、もともと規則内におとなしく留まっていた人間よりも賞賛される。
つまり、自己中な人間のほうが、得ってことなのでしょうか。
社会はそれだけ寛容で、幅がある。そこが素晴らしいことでもありますが、
それでは規則に合わせる人間は、なんなのでしょうか。

そもそも「規則とは何ぞや?」と、原点を問うてみました。今まで疑問に思ったこともなく従っていたことですが。

規則とは、複数の人間が安全に心地よく暮らしていかれるために設けた、互いを尊重するための原則ではないでしょうか。
それが独裁的なものであれば、一部の者だけが心地よくなるのだから、公正とはいえない偏ったルールとなるでしょう。
だから、規則を鵜呑みにしてヒツジのように従うのではなく、規則を決めたのもまた人間であるために、常に修正は可能なものと考えることが必要かもしれません。

あ、だからフランス人はよくデモやストライキを起こすのか。
規則に従いやすい日本人には、周りに迷惑をかけてまでデモやストを起こすフランス人の気持ちは理解しにくいですが。
それを自己中と見るのはまたカルチャーの違いであって、自己主張は人間としての権利として認められている社会なのですね。
そういう大らかなフランスに来たフィリップはラッキーとも言えるかもしれませんが、彼の場合は悪い使い方ですが、こういう規則に収まりきれないパワーを持つこと自体は、良い方向に使えば、現状を打破する反骨パワーになるんだな、と見ていて感じました。
逆に規則を生真面目に守る人間は、相手にも同様のことを求めるため、人としての心情を無視しても規則の中に縛り付けようとするところが出てきます。

長い人生、ルールも多様な国際社会をたくましく生きていくには、規則の幅を交渉していく図太さも大切なことではないかと思うに到った私でした。

「規則は尊重すべし、でも、ヒツジにはなるな」ということを、フィリップから学んだこととして、新たに子供たち世代に伝えて行きたいです。

だけど彼にとっての唯一の「規則」は、母なのだと思います。
母からは逃げ出せない。母からは逃げたくない。
そこが彼の苦しみとなっているのです。

誰にでも規則はあるものですね。



続きます!

読んで下さってありがとうございます
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