一回きり、一回きり - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

一回きり、一回きり

  • 2012.11.01
先日、友人がこう言いました。
「以前は、『この先何があるのかな~?』って漠然とわからないものに向かって進んできたけれど、今はもうゴールが見えてきた、というか・・・」

それを聞いて、私も一字一句まったく同じ気持ちだったので、「あぁやっぱり、そういうお年頃なんだろうか」と思いました。

「ゴール」とは、「必ず死ぬ」ということです。

それは、若い時は、私にとってただ怖いものでした。身近にありながら、どこか遠くに押しやっているものであり、ミステリーのようなものでもあり、ひょっとしたら自分にだけは来ないもののような気さえするものでした。

だけど、今40半ばになって「それ」はこの先私たち全員を待ち構えていて、そこを通らずには行けないのだ、という現実を避けることなく、直視することができるようになったように思います。

怯えて避けている間は、「今」にしっかりと足をつけて立ってはいなかったんだな~と、直視できるようになって思いました。
「怯え」は自分の中心と「今」という宇宙の中心を切り離してしまうことです。
「怯え」がなくなれば、「今」と繋がることができるのです。

「人生一度きり」というのは、何の変哲もない、古今東西よく聞くセリフで、それこそ耳にタコの1つは2つは誰でもあるはずなのですが、でもそれを読んだからといって、聞いたからといって、また身近な人が亡くなったからといって、すぐに「わかる」わけでないようです。やはり、「その人なりの時間」が必要なんでしょうね。

え?本当に終わっちゃうの?これって、一回っきり??
と、夢見る夢子の私は急に目覚めて、パッチリと目を見開いて、今まで歩いてきた道を振り返ってみます。

一回きりだと「肝」に銘じるほどわかっていたら、あんなことでオタオタしたり、オドオドしたり、ビクビクしたり、尻込みしたり、しなかったなぁ~!と、臆病者の私は一番に思いました。

それで今は、思い切って出来なかったり、失敗するのが怖かったり、穴を掘って入りたいくらい恥ずかしい気持ちになることがあると、「一回きり、一回きり」と唱えるようにしています。
なんといっても、臆病な引っ込み思案を克服することが、私の一生の課題のように感じていますが(そうは見えないでしょうけど
そう唱えると不思議なことに、心臓のバクバクも少し治まって「ハッ、そうだ、どうってことないわよ、これも経験のうち。どうせ、一回で終わっちゃうんだからね!」と少し気を取り直すことが出来るようになりました。

進歩だ~。
やはり、人間は年を取って進歩できるんだ~
大人になるってステキ~

20歳の時にこの心境になれていれば、怖いものなしだったですが・・・
人にはその人なりにしか進歩できないのですから、仕方ないですね。

平均寿命の折り返し地点を過ぎてしまったところで、この先は、本当に自分らしいこと、自分にしか出来ないこと、を勇気を持って取り組んでいかなければならないのではないかな、という心境になっています。

本当に自分らしいことは何か、というのは、今までの人生で、らしいことらしくないことを混ぜこぜに経験し、また経験させたもらった中から、手をすくってみればその中に残っているもの・・・を手ごたえとして掴めるようになっているものではないか、と感じています。

孔子の言う「40にして惑わず、50にして天命を知る。」というのはこういうことなのかな、と自分なりに納得しているこの頃です。

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