菓子パン産業の先駆者 - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

菓子パン産業の先駆者

  • 2012.06.12
パン屋さんで買うパンはとても美味しい国なのに、スーパーで売ってる工場生産のパン類の不味いことと言ったら・・・・・特に食パンは、もう今は日本の味を忘れてしまいましたが、日本から来たばかりの頃買って食べて、薬品のニオイしかしないような食パンに激しく落胆した思いは忘れていません。
というわけで、菓子パン類もスーパーではほとんど買ったことがなかったのですが、フッと目に留まったのです。

このところ、育ち盛りでおやつの量が足りなくなっているトトとナナに、私が作れる時に作る程度のおやつじゃ追いつかないし、かと言って毎日パン屋さんに行って手作り菓子パンを買っていたら、お財布が追いつかないし。

「学校から帰ってきてこれなんか食べたらどうかしら?ものは試し」と買ってみました。
いろんなメーカーも種類もある中、なぜか迷いなくこのブリオッシュ・パスキエ(Pasquier)というメーカーの袋を選んでいました。




そうしたら、意外なことに結構いけました。
(すごく美味しい、というものではもちろんなくて、こういうパンにしては薬品臭さがなくて、食べられたということですが。フランスに来た時にお土産に買って帰ろう・・・なんて思われる方に誤解のないように、念のため。そんなこと思う人いない?!)
子供たちも立て続けに3個ぐらい食べて。
中のイチゴジャムがさっぱりして、フレッシュ。

すると夜帰宅した夫が、パッケージを見て、「あ、今日はミーティングでパスキエの社長さんという人に会ったよ。会社を立ち上げたきっかけについて話をしてくれて、なかなか良かった。」というではありませんか。
私が初めてこのメーカーの菓子パンを買った日に、夫が偶然社長さんに会ったというのですから、面白いものです。夫婦で通じているものがあったのでしょうか。

パスキエさんのお父さんはパン屋さんでした。一軒の町のパン屋さんを営んでいましたが、パスキエさんが25歳の時にそのお父さんが亡くなって、後を継ぐことになりました。今から40年近く前のことです。
お父さんの夢は「オレのブリオッシュを世界中の人に食べてもらいたい」
ということでした。
その夢を叶える前に亡くなった父親のことを思いながら、パスキエさんはどうすればその遺志を実現できるかといつも考えていました。

ある日、友人の家で話していると、友人の子供が帰ってきました。
その子のおやつを出すために、母親はキッチンの食器棚を開けると、ブリオッシュをのせた皿を取り出しました。

それを見て、閃いたのだそうです。
「そうだ、ブリオッシュはいつだって食器棚の中にある。世界中の人に食べてもらうには、食器棚から出さなくてはならない!」

店に戻ると早速弟に言いました。(兄かもしれませんが、フランス語では一般に兄か弟かの区別をしないで「きょうだい」と言うので、どちらかわかりません)

「ブリオッシュをランドセルの中に入れるようにするぞ。ひとつ、ひとつ包んで、持ち運びが出来るようにするんだ。パッケージの袋は2重がいい。ランドセルの中のものが汚れるといけないから。そういうものが作れるかどうか、調べてほしい。」

弟は反対しました。そんなことができるわけない、と。
けれども試行錯誤の末、作れることがわかりました。
そして、小さな工場を二人だけで建てました。
当時は現在のような厳格な規格条件はなく、若い二人の青年のやる気に動かされた町の政治家が建設に協力してくれました。

それから「家庭の食器棚を離れた」ブリオッシュは、どんどん広がりだして、今ではフランスの菓子パン業界ナンバーワンの売り上げを誇り、各国にも工場を持つ国際的な企業へと成長しました。
お父さんの夢が、息子たちによって叶ったのですね。

とてつもなく大きく思える夢が、見逃してしまうような小さな思いつきから実現した・・・というところが、とても興味深いと思いました。

家内工業から国際企業へと変身しましたが、現在でも工場の規模はライバル企業の工場に比べると、ずっと小さな規模なのだそうです。もっと大きくして生産力を上げたほうがいいのでは、と言う人もいるのですが、パスキエさんにとって、工場が大きすぎない、ということはとても大切なことなのだそうです。
大きすぎると、働く人はそれこそ工場の歯車の1つになってしまう。
工場で働く人全員が知り合って、毎日挨拶を交し合える、という家庭的な環境が働くモチベーションに繋がり、働く人の士気が利益に反映する・・・という考えだからなのだそうです。
それで業界一位なのですから、やはりここにも、小さな気配りが効いているのでしょうね。


私も今日から小さな思いつきを大切にしていきたい、と思ったお話でした。


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