自分の領域と相手の領域 - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

自分の領域と相手の領域

  • 2009.11.02
心理学のワークショップというものに初めて参加してみました。
内容は「周囲と、そして自分自身と調和しながらコミュニケートする」というテーマでした。
周囲と調和する、ということは和を尊む日本では大切なこととして育てられますから、目新しいことではありませんが、ここに「自分自身と調和する」ことが加わると、はたしてどうでしょうか。私にとってはここが興味を惹かれた部分でもありました。

周囲と調和しているように行動していても、自分自身と調和していなかったら? つまり周りに合わせすぎて、自分を抑えすぎてしまっていたら?周囲と波風立てないために、自分の意に反したことをしていたら? よくありがちなことだと思うのですが。
逆に、自分自身と調和していても、周囲から浮いてしまったら?エゴイストだと非難されてしまったら?
そのバランスがむずかしいのではないでしょうか。

出席していたのは私以外は全員フランス人でしたが、彼らの発言で圧倒的に多かったのが「当然、第一に自分自身と調和することが大事」というもので、周囲との調和は2番目に来ていることが興味深かったです。
でも中には、そうじゃない人もいて、例として「現在職探し中なのですが、大切な採用面接がある日に、隣人に子供を預かってもらいたいのだけど、その隣人も自分の子育てで忙しいのに私の都合でそんなことを頼んだら、悪い母親だと思われるのではないかと思って頼めずにいる」という、「あなたニホンジン」と思うような発言もありました。

ワークショップの結論から言ってしまえば、自分自身と調和することなくして、周りと本当に調和することはできない。自分を偽れば、周りをも偽る。そこに、コミュニケーションは成り立たない、というものでした。

上手にコミュニケートするためには、まず自分を知ること。それをシンプルに伝えていくこと。 それをどう相手が受け取るか、というのは相手の領域であって、発信側の領域ではない。そこに発生する相手の感情というのは相手が所有し責任をもつものであるから、それを憶測であれこれ気を揉んで気を回しすぎた表現をする必要はない。まずは正直な自分を表現し、それをどう受け取るかは相手に任せる、というものでした。

どう感じるかは相手側の責任、と言っても、だからこちらが言いたい放題を言って相手が傷ついても相手の責任、という意味ではもちろんありません。誠意あるコミュニケーションを前提とした上で、相手の反応を気にしすぎて本当の自分の気持ちや考えを伝えられない人に対するアドバイスなのです。

上のフランス女性の例で言えば、「相手が自分を悪い母親と思う」かどうかは、相手が決めることであって、話す前に気を揉む必要はない。それはかえって相手の領域を侵すおこがましい行為でもある。就職試験という機会が本人にとって大切なものである、ということと、子供を預かってもらって申し訳ないが大変助かって感謝している、というこちら側の状況と気持ち、それをしてもらうとどうなるかという予想結果、の3つを、きちんと伝えることが大切で、それでもし本当に悪い母親だと思われたら、それは仕方がないこと。と、講師の意見はスッパリしたものでした。(そうはわかっちゃいるけど、割り切れないのが人情というものですが。)

感情表現の激しい人たちを身近に抱えていて、ついそれらの感情に振り回されそうになる私としては、相手の気持ちを先回りして汲んで気を遣う日本人的発想とは違ったこのアドバイスは、こちらで暮らしていく上でとても気持ちが楽になるものでした。


まずはできるだけ自分に忠実に表現し、それをどう受け取るかは相手に任せる。なぜなら相手がどう受け取るか、どう感じるか、というのは相手が所有する感情であって、こちらが支配するものでも所有するものでもないから。相手が怒ったり泣いたりしても、それは相手自身が引き起こしたもので、相手の領域の問題である。。。というところが、とても印象に残りました。

逆に言うと、相手が発信してきたことに対して、どう感じるか、というのはこちら側の選択であり責任ということになりますね。


誘われて軽い気持ちで返事をして参加したのですが、得るところが沢山あり、いくつか目からウロコが落ちました。


もうひとつ印象に残った話は「やる気について」でした。よろしかったらまた次回に書いてみますね。


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今回の話、皆さんには参考になりましたか?
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