戦争と平和(バカンスの写真3) - ジンジャーの薫り・・・仏田舎手帖

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戦争と平和(バカンスの写真3)

  • 2007.08.31
ジーーーーーーーーィィィーッ!!
朝、テントのジッパーを開けると、その音が山に木霊するように鳴り響き、静かな、静かなキャンプ場全体に一瞬申し訳ないような気持ちになるのでした。
決して早起きではなかった私たちですから、テントの外に出ると、他の家族はもうテーブルに着いて朝食を取っていたり、シャワーを浴びに行く人の姿がちらほら見えたり・・・このジッパーの音でキャンプ中を起こしてしまったわけではないことがわかり、ホッとするのでしたが。

おはよう!
毎朝テントを出ると、真っ先に、取り囲んでいる山々を眺めます。
午前9時を過ぎると、山の向こう側にいた太陽が突然頂上を越えて昇り出し、冷ンヤリとした空気は突如灼熱の空気へと化すのでした。

おやすみなさい・・・
夜は谷間に月がぽっかりと昇って、夜中に1人で目が覚めたとき、テントを抜け出してしばらく眺めたものでした。


py2.jpg


雲がかかり出した・・・・・

py6a.jpg


ゆっくりと、ゆっくりと、降りてくる・・・

ゆったりとした時間の中で、雲の行方を追います・・・

来る、来る・・・

きっともうじきキャンプ場まで降りてきて、霧に包まれるわ・・・


py3.jpg


と、その度に心の準備をするのですが、霧が降りてくることは結局ありませんでした。
夢に手が届きそうなときって、こんな感じでしょうか?


この平和な山を、毎日眺めて過ごしました。
出発の前日、家族でヤギに餌をやっていると、村にお住まいのおじいさまもいて、立ち話が始まりました。黒いベレー帽に、清潔な青いギンガムチェックのワイシャツ、明るいムードの優しそうな方でした。そして足元には夏というのにウールの編地の靴下が、運動靴と黒いパンタロンの間から見えてました。
ヤギの話から始まって、村の誰も住んでいない大きな家の話になり、そこからおじいさんが少年だった頃の話へと飛んでいきました。

時代は第二次世界大戦中。フランスはナチスに占領されていました。当時13歳だったぺぺ少年のお父さんはレジスタンスとして密かにナチスに対抗していました。逃亡を試みるユダヤ人家族を家の中に匿(かくま)っては、スペインへと逃がしていたのです。そう、この山を越えればスペイン。国境沿いにあるここピレネー山脈は通り道でもあり、ナチスもその配下にあるフランス警察も目を光らせていました。万が一、レジスタンスと分かれば命がないことを承知で、果敢で若い村の司祭と協力して行っていたのです。
ぺぺ少年が見たそのときの様々なエピソード、ユダヤ家族の話、ナチス軍に捜索を受けた司祭が羊飼いに変装して山に潜んでいたときの話、疑いをかけられた者たちへの拷問の話、村の若者たちが理由もなくつかまりそうになったときの話、この山の上空を英軍の偵察機が定期的に巡回していた話・・・・・。
おじいさんの話は止(とど)まることなく、数珠繋ぎのように、多感な時期の体験が語られていきました。そして最後に、
「アメリカという国への批判はいろいろあるようだが、あの時、ナチスからわれわれを解放してくれたのは、アメリカだった。彼らがいなければ、今のフランスはなかった。そのことは絶対に忘れないよ。
そして、あの時、日本が真珠湾攻撃をかけなかったら、アメリカが参戦することはなかったろう・・・。そう思うと、日本がきっかけを作ってくれたんだ。」
と言ったのです。

最後の日本のところは、私が日本人と知っていて言ったわけではなく、本当に日ごろから思っていることをポロリと言った、という感じでした。(実際、この後私が日本人であることを夫が言うと、おじいさんはちょっとビックリしたように、ごめんなさいと言いました。)

「話を聞いてくれて、ありがとう。戦争の話をしたがらない者もいるけれど、私は話すことによって、心の重荷を下ろすことができるから・・・。」
と、おじいさんは胸をさすりながら微笑んで言いました。

「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございます。僕らも、子供たちも戦争を知らない世代ですから、実体験を伝えていくことは大切なことだと思います。今はキャンプ場にはドイツ人もイギリス人もやって来て、賑やかですよ。」と夫が言うと、おじいさんも笑いながら「そう、それでいいんだ。」と頷いていました。
側でヤギたちと一緒におとなしくしていたウチの子供たちは、おじいさんのものすごいピレネー訛りのアクセントも然ることながら、話の内容もよくわからないようでした。でも、このおじいさんが息子トトと同じくらいの時に経験したことなんですよね。

フランスがナチスから解放された後、捕虜となったドイツ兵を働かせて近くのダムが作られたこと、その時に空腹の若いドイツ兵たちに食事の差し入れに行ったぺぺ少年は、彼らが悪魔のような敵ではなく、実は自分と変わらない年頃の、やさしい心根を持った人たちであることを目の当たりに感じたそうです。人が悪いのではなく、戦争というものがそうさせたのだ・・・と心から思ったそうです。

私は、「日本の真珠湾攻撃がアメリカを参戦させ、フランスを解放させ、多くの命を救った」という反対側の国のドミノを、頭の中で何度も繰り返しました。悲惨な真珠湾攻撃のおかげで、今こうしてピレネーで当時のぺぺ少年とお話ができたという、大きな歴史のうねりの中の、小さな出会いを全身に感じていました。
キャンプ場や河原から、明るいバカンスの声が聞こえていました。
その昔、戦争があったとはとても思えない、今は平和なピレネーの山を改めて眺めました。




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