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2009年01月24日(土)
今年のテーマは、木を切り、水を運ぶ、生きる筋トレ

 
太陰暦で祝われるチャイニーズ・イヤー、今年は26日(ヨーロッパ時間では25日)ですって。フランスでも、毎年この時期はあちこちでチャイニーズ・イヤーの特集が組まれます。
スーパーでも、ほら。

sushi.jpg



フランスでも大都市や大きな街のスーパーなら常時見かけるはずの「sushi」ですが、
この辺りの田舎ではまだまだ珍しい商品。うちの近所では一番大きなカルフールですら滅多にお目にかかりません。だから普段はとおーくのアジアマーケットに行かない限り手に入らないアジア食品も、この時期は近くのスーパーで手に入れられるチャンス。『アジア』の中には当然、日本も入っているので、田舎に住んでいる者としては重宝する時期です。といっても、こういうお寿司はご飯がバサバサしてるのに、やけに酢が多くて水っぽく、おいしくない上に9.90ユーロ(今1200円くらい?)は高いので買わないけど。でも、「良いお年をお迎え下さい」の一言がご愛嬌ですね。

アジアの中で唯一『旧正月』を祝わなくなった国ジャポンですが、やはり日本式お正月を味わえない海外の田舎で暮らしていると、十把ひとからげにされたアジア正月でもなんだか嬉しくて、私も入れて〜という気持ちになります。


新年といえば、今年のテーマをまだ書いていませんでした!
旧暦(太陰暦)の新年は当然新月を意味していますが、新月は願い事をするにも良いそうですよ。潜在意識に働きかける力が強いのだそうです。
公の場で声明しておくのはよいアファメーションになる上に、年末になって読み返して「へぇ〜今年のテーマはこれだったのか〜」と忘れていたことを思い出させてくれますので(笑)、書いておかなくては。

今年も去年と同じく、「旬」という言葉を細胞のひとつひとつに染み込ませたいです。「旬に生きる」から一歩進んで「旬を上手に受け取る。」
毎年、毎月、毎日、毎分が、やってくる時間はすべてが、そこで出会うことも起こることも、すべてがチャンスは身に過ぎたことと拒むことなく、怖気づいて逃げることなく、考えすぎて逡巡することなく、ありがたく素直に、その時点での自分にふさわしいものだと受けとって、最善を尽くしたいです。(この部分の意味が今ひとつつかめない方、「チャンス」という言葉を「愛の告白」と置き換えてお読み下さい。笑)

また一見悪いことのように思える出来事も。だからその時に起こるべくして起こったことだと、これもありがたく、意味を消化しながら受け取りたいものです。

同時に、自分自身も「今現在が常に」なのだということも、肝に銘じておきたいです。

ちょっとわかりにくいですね。いいんです、これは自分のためのアファメーションなのですから、私さえわかってれば(笑)。
つまり、チャンスは大いなる存在からの愛の告白で、
一見悪いことに見える出来事は大いなる存在からの愛のご注意で、
自分自身は大いなる存在に生かされている、
という理解ですが、よろしいでしょうか(笑)。


去年からの引き続きのテーマに加えて、もうひとつの新しいテーマは
生きる筋肉トレーニング」!
どういうことかといいますと、
「地味で目立たない作業を淡々とこなす」ということです。
うぎゃー・・・これは苦手だぞ!!!
だから私にとっては大チャレンジテーマ(苦笑)

でも、裏舞台の準備なしに表舞台に立つことはできない、って、当たり前のことですが、最近ようやっと身体の感覚としてわかってきました。しかも、表舞台に立つのはほんの10分かもしれないけれど、裏舞台の準備は何日もかかったりします。この準備を手抜きしていては、表に立ったときも映えない。・・・って十分頭ではわかってるんですが、なかなか裏舞台が面倒くさくて(^_^ ;。

人生って地味で目立たない作業だらけ、毎日毎日の生活はひょっとしたら90パーセント以上はこれで出来ているのかもしれない。でもそれをこなしていくことが、「生きる筋力づくり」みたいなものかな、と思うこの頃です。

体の筋肉もいきなりバーベルなんて持ち上げられないけれど、毎日少しづつ鍛えると筋力がついてくるみたいに、「生きる筋力」も積み重ねなんだな〜と思うようになりました。
孤独のところで書いたことともつながりますが、この「生きる筋力」が発達していると、孤独になったときにも強いかな、と。なにしろ人生の基礎工事みたいなものだから。
平々凡々な生活の日陰作業を、堅実に続けられる人、こういう人が一番生き上手なのではないかしら。

「悟りの前、木を切り、水を運んでいた。 悟った後、木を切り、水を運ぶ」という言葉の、
「木を切り、水を運ぶ」という作業にあたるもの。それを大切に行えるようにしたいです。

そういえば、薪ならいつも運んでますが、確かに肉体的に筋肉つきそうです(笑)。でもこれも、肉体だけじゃなくて、「生きる筋肉トレーニング」のひとつかもしれません。「生きる筋力」って、肉体のみではなく、精神のみでもなく、日常的な小さな作業を続けることによって、両者が一致してくること、という気がしています。

裏舞台をいつも一夜漬けで乗り越えてきた私としては、かなり苦手な分野ですが、
ポイントは「淡々と」「ほのかな快感」ですね。がんばらず、淡々と。その行為自体に、とびあがるほどの喜びも、投げ出したいほどの嫌気もなく、夜寝る前に歯を磨くように、習慣とほのかな快感を覚えるようになりたいです。(わーい、歯磨きだー!と胸を躍らせることもなければ(笑)、あーイヤイヤと歯磨き粉をぶちまけたくなるほどのことでもない。無意識に腕が歯ブラシをつかんでいる、そして磨いた後はサッパリ感、あの感覚です。あの感覚さえ、90パーセントの地味行為に見出せれば・・・こっちのもの・・・・・なのだが!)
そんな感じで、地道な作業をこつこつと積み上げることに悦びを見出したい今年です。


昨年は本当に充実した一年でした。
新しいタイプの人間関係が広がり、忙しく動き回れ、私は「ハンドルを自分で握る」ことを覚えました。ハンドルを握るのも自分、どこに行くかを決めるのも自分。助手席に誰かが乗ってきてあれこれ言ってきても、ハンドルを握っているのは当の自分なのです。これって、自己主張の強いフランスの人々の間で振り回されずに生きていくうえで、とっても大事なこと。それを体得できた一年だったと思います。


皆さんのテーマはどんなものですか。




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2009年01月15日(木)
南仏のクリスマスマルシェ

 
noelmontp.jpg


どこのクリスマス・ツリーでしょう?

お正月も過ぎ、日本ではバレンタイン商戦が始まってもおかしくない時期に入っているかもしれませんが、のほほんと、南仏のクリスマスにお連れいたしますので、
各国いまどき報告(フランス国旗をクリック!)からお入り下さい。

年末だというのにコートの下は半袖で、汗ばみながら歩きました。着る物の重量は、やはりどこか心の重量にも比例するのでしょうか。気分も足取りも羽のように軽く、蝶のように(?)飛び回った私でした。
南仏のクリスマスマルシェ、また来たいです!

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2009年01月06日(火)
孤独と仲良くつきあう法

 
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この年末。耳に届いてくる声は泣いており、受話器を持つ私の手は震えていました。
「お願い、私は英語がしゃべれないから・・・あなたから姉のだんなさんに伝えてもらえる・・・」
もちろんよと言ったものの、私もかなり衝撃を受け、動揺していました。言い間違いのないように辞書を繰り、メモを取ってから、国際電話のダイヤルをプッシュました。

「ハロー、L…の妹さんから頼まれて電話をしています。今夜、L…は入院したということをお知らせします。彼女は、自殺未遂をしたのです。幸い、命に別状はありません。大丈夫だと警察が伝えてきました。病院の電話番号は・・・・・・・」
どうにか落ち着いて話すようにしながら用件を伝えると、だんなさんは初めて話をする私に受話器の向こうから吐露しました。「ぼくには仕事があるんだ。稼がなくちゃいけないんだ。ここを離れたら、稼げなくなる。彼女は一緒にフランスに住んでほしいというけど、フランスに行っても僕はフランス語も話せないし、仕事もない。僕は稼ぐためにこの町を離れられないと彼女も知ってるはずなんだ。この町では彼女は幸せじゃない、だから勝手にフランスに帰っては長居をしているけれど、僕にももうどうしていいかわからない。離婚しようと彼女が言ったんだ。それで君が幸せになるならそうしようって言ったけど、死にたいとも言われたよ。僕だって本当に本当に悲しいんだよ・・・。」


冒頭の電話の主のお姉さんは、フランス人ですがアメリカ人と結婚し、アメリカの大都市で約30年暮らしてきました。陽気で華やかでジョークが得意で、どこにいても人目を引き、場を盛り立てる女性でした。それは今でも年齢を感じさせないほど(20歳は若く見える!)、美しく着こなしが上手なのです。それが、勤めていたショップを数年前に定年退職したのを機に、人間関係が変わり(というより無くなり)すこしづつ歯車が狂い始め、ウツの状態になっていったようです。
そういえば、その時にこぼしていた言葉を思い出しました。
「仕事をやめたら、人付き合いがなくなってしまうのよ。友達も仕事がなければ出来ないの、アメリカって。表面的な付き合いしかないのよ。」
それが本当のアメリカなのかどうかわからないけれど、ずいぶん寂しい環境に彼女がいるんだなと思ったものでした。子供はいない夫婦ですが、だんなさんの羽振りは良く、フランスの家族から見ればリッチな暮らしを謳歌しているように聞いていたからです。それが頻繁にフランスの実家に戻ってくるようになり、最初は短期だったのが、だんだん長期滞在になり、いつまでいるという日程もないままアメリカに戻らなくなりました。

たとえ30年暮らそうとも、やはり、人生の最後は自分の生まれた国に戻りたくなるのだろうか・・・・・・ホームシックを味わっていた私には、彼女の変化は痛いほど心に響きました。もちろん国だけではなく、夫婦関係の問題であることも今回わかりました。モーレツ仕事マンのだんなさんの言葉は、二人の人生の方向がすっかり違ってしまったことを物語っていました。

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大晦日の夜、友人3夫婦で朝方まで食事を楽しんでいると、一人が急に涙を流しました。新年を祝う電話を実家にした後のことでした。お母さんがこのところウツなのだと、新年を迎える今夜も彼女がひとりきりでいて寂しがっているのを知り、悲しくなってしまったと言うのです。
3年前に伴侶をなくして以来、お母さんはまだ精神的に立ち直れないでいるのです。
「父はね、とっても嫉妬深い人だったの。母がひとりで何かをするのを嫌がって、母をどこにも出さないで来たの。それで母は父なしで行動することがなかったのよ。今ひとりになってしまったら、なにも出来ないの。ひとりでは運転もできないの、免許を持っているというのにね。それで子供みたいになって・・・ただ父のことを想っては悲しみに暮れているのよ。」
3人の娘を育て、いつも夫の援助とともににぎやかに家族に囲まれて過ごしてきた女性が、急にひとりで放り出されてしまったのです。娘たちはそれぞれ結婚し家庭を持ち、夫は定年退職して間もない頃でした。何より、だんなさんとは10代の頃からのお付合いだったそうですから、分身と別れたようなものですね。
でもその寂しさを、今のところ、誰も助けてあげられないのです。

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究極の孤独を感じるこの二人の女性の話を同時期に聞きながら、孤独について考えさせられた年末年始でした。寂しがりやな私だからこそ、余計に感じ入ってしまったのですが。
孤独は、ひとりとは限らず、家族の中でも、カップルの中でも、友人との間でも存在します。
この二人の女性は老後を過ごしていますが、若くても、中年でも、年齢に関係なく孤独は存在します。社会的に人気を博していても、成功していても、無名でも、失敗していても、孤独は存在します。
いかにして、孤独と共存していくか。それが人生の大切な課題なんじゃないかとあらためて感じたからです。
上手に生きるということは、上手に孤独とつきあうことが出来ることが、必要不可欠。そんな気が切実にしました。

大晦日の夜は、私も特別に母のことを想っていました。日本でたったひとりで除夜を過ごす母。いつも多くの趣味を持ってあちこち飛び回っているけれど、お正月には一緒に年越しそばをすする家族がほしいに違いない、と思うからです。
もともと孤独に強い人だけれど、彼女の心の中にもいつだって寂しさがあるのだとは思うのです。でもそれを他人や私には見せないように努力しているのかもしれません。ひとりで新しいことを開拓し、発見し、楽しいことを携帯メールで送ってくれる、そうやって上手に独りを楽しんでいる彼女の姿そのものが、娘の私にとってどんなに力強い癒しになっているかわかりません。
上手に孤独とつきあう、それは、大切な人間関係を守っていく上でもとても大切なことなんだな、と思うのでした。

夫婦のパートナーシップをいつまでも保っていけるのが理想だけど、将来万が一、私が一人身になることがあったとしたら・・・、そこで上手に生きられなかったら子供たちに悲しい想いをさせてしまうし、迷惑をかけてしまう。そんなことのないように、生きられるだろうか・・・?私は自分に答えのあやしい疑問を投げかけました。

人は生まれてくるときも死ぬときも独りだ・・・という言葉がありますが、そうじゃないですよね。だって、生まれてくるときは、お母さんのお腹から出てくる、だからお母さんがいるんですから。生まれてくる前だってお腹の中で一緒です。でも死ぬときは、いつ、どこで、誰に看取られるかわかりません。ひとりで死ぬ可能性だって高いわけです。だから、人は孤独というものを生まれてから初めて体験し、人生を通して学んでいくものなのではないでしょうか。そう思うと、やはり孤独というものに対する理解と覚悟は必要だな、と思うのです。

愛する人がいなくなってしまったら、愛する相手と分かり合えなかったら、友人となる人がいなかったら、子供が巣立って行ってしまったら、グループの中で孤立してしまったら、物理的にひとりにならなくてはならなかったら、ブログに書いた記事になんのコメントももらえなかったら(・・・!)・・・・・・・理由はいくらでも数え切れない。
そんな孤独の時期を、上手に孤独の感情に耐え、仲良くしていくことが出来たなら
また新しい扉が開くのだけれど、時には化け物のように強大な孤独に呑まれそうになることだってある。突然そんな環境に陥ったら、どうやって精神的に抵抗力をつけたらいいのでしょう・・・・・「そのためにも心の準備」、「そうならないためにも環境の準備」が必要かもしれません。

私が経験から思うことは、孤独の時期は、充電期間だということ。言い換えると、孤独のパワーは充電パワーに変換可能だということ。
そして、孤独は誰かに埋めてもらうものではなく、自分自身の中に、それを埋める力があるということ。


皆さんはどう思いますか?



↓一緒に孤独について考えてくれてありがとう。
 
 

2009年01月02日(金)
世にも不思議な「魚の目キラー」

 
明けまして、おめでとうございます!

寒い中来て下さって、ありがとうございます。
少しお時間があるのなら、あったかいシナモン入りの赤ワインなど、一杯いかがですか。
飲みながら、立ち話でもしましょうよ。
体がほっかほかに温まりますよ〜。

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↑南仏の小さいけれども活気のあるモンペリエという町の、クリスマスマルシェの風景です。
「ホット赤ワイン、2ユーロ」の屋台。


ではホットワインを片手に、少し、去年のお話を聞いてもらえますか。
ちょっと不思議な体験をしたのです。
お正月早々、美しいとは到底言えないものの話で申し訳ないのですが、
実は、去年の春から、足の踵のあたりに『魚の目』(鶏眼)が出来ていたのです。そのうち治るだろう、なんて軽く思っていたら治らず、あれこれ治療を試みたのですが、ビクともするどころか、どんどん勢いを増してきて大きくなり、手に負えない状態になっていました。痛みもかなりなもので、魚の目をかばうように足を引きずって歩くのは、ごく日常になっていました。そのうち、夜中もズキンズキンと勝手に疼きだして、目を覚ますくらい。軽石で削ってみようなんてマネをしたら、血が噴出すホラー状態で、悪性のなにかなんじゃないかと、ひそかに心配になったりもしました。
それが、10月の末までずっと続いていました。もう一センチ以上の厚みが出来ていて、そう簡単に治るものではないことは、さすがのニブイ私も十分自覚できました。
経験のある方は、おわかりになると思いますが、結構しぶとい生き物なんですね、これが。私も初めてのことで、かなり戸惑いました。

痛みが相当ひどくなってきて、ついにある夜たまらなくなって、私は「ある人」のところへ駆け込みました。晩ご飯の準備をしている時でしたが、立っているのもつらくなり、エプロンをはずし下ごしらえを放り出し、車のキーをつかむと、その人のところへひた走りました。夫と子供は不安そうに見送っていましたが。その人は・・・・・・『魚の目キラー』なのです。

その夜から一週間後に痛みはピタリとなくなりました。そして一ヶ月と少し経ったある日。魚の目はひからびた黒豆みたいになって、ボトッと、私の踵から落ちたのです。足の踵に隕石の落ちた跡みたいな穴があき、その下には新しい皮膚がちゃんと出来上がっていました。
周辺にはまだ硬い角質が若干残っていたのですが、それも徐々になくなり、12月の半ばには、もうすっかり元の麗しの(??)足に戻りました。

彼が一体、何をしたのか・・・どうしてそんな力があるのか・・・どうして「その力」なのか・・・
自分の足を見るたびにまったくもって、不思議な気持ちになります。こういう人をヒーラーというのでしょうか。不思議な人々がフランスにはいるものです。年末にお礼に行ってきましたが、相変わらずひっそりとしたお宅でした。これで収入を得ていれば、シャンゼリゼに豪邸が建てられるんじゃないかと思うのですが・・・。

こちらに書きましたので、よかったら読んでみて下さい。
 (フランスの国旗をクリック→「世にも不思議なうおのめキラー」)

ところで、記事には何度も「魚の目」と書きましたが、後で調べてみると、魚の目に間違えられやすいそうですが、魚の目ではなく「足底尋常性疣贅」というイボの一種らしいです。というのも、出血をするのが特徴だからだそうです。
こちらでは、verrue(ヴェリュ)plantaire (プランテール)と呼ばれています。

正確には、彼は魚の目、イボ、タコ、すべての「verrueキラー」ということになりますか。




↓うおのめキラーさんに・・・・・私から感謝を込めた大拍手です!