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クレラン

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2006年01月24日(火)
我が家の新メンバー

 
子供たちが待ちに待っていたクリスマスプレゼントのメインは、サンタクロースの正体がばれてしまったこともあり、堂々と子供たち自身で選んでもらいました。ちょうどクリスマスの2週間前のことでしたか。少し早めとなりましたが、このプレゼント、それはそれは長いこと、ながーーいこと、待っていたものです。
子供たちのみならず、私も、ながーーーーーーいこと、待ち望んでいました。
何日もどころか、何ヶ月もどころか、何年も待っていたものです。

さて、なんでしょう。

チラリ。

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もうおわかりですね。
まだわからない方がいらっしゃる?
それではこの角度から。

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今度こそわかっちゃいましたね?


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2006年01月19日(木)
王様のガレットを召し上がれ♪

 
ちょっと遅くなってしまいましたが、1月8日は今年1月最初の日曜日で、王様のガレットを食べる日でした。
このフランスの伝統行事については前にも書きましたが、空にまたたくに導かれてキリストの誕生を知り、ベツレヘムの馬小屋まで祝いにやってきて黄金と乳香と没薬を捧げた東方の3博士(天文学者、占星術師)にちなんだお祝いです。

ガレット(ガレット・デ・ロワ)を食べるのですが、中にはひとつだけフェーヴ(陶器の人形)が入っています。これの入った一切れを食べた人が王様!冠をかぶることになるという楽しいお菓子です。
王様になった人は他のみんなにまた次のガレットを買ってご馳走しなければならない、とも言われますし、今年一年幸せがやってくるとも言われています。(雲泥の差ですね。笑)

当日だけではなくて、クリスマスの頃からまだ今週にかけても、あちこちのパン屋さんやお菓子屋さんでこのガレットは売られています。ちゃんと冠つきです。

20060119031358.jpg


地方によって2種類あるそうなのですが、このあたりではパイ生地の中にアーモンドペーストがはいっています。
今年は私たちも5回食べました。親族との食事や友人とのお茶にこの時期欠かさず登場します。
もちろん一番多く王様になったのは、フェーヴに対して動物のような勘を働かせている子供たちでした。

この楽しいケーキ、私としては本当はみなさんとも一緒に食べたいのですが、残念ながらそういうわけにも行きませんので、この場にガレットをご用意いたしました
どうぞ召し上がれ♪(←クリックするとガレットが出てきます。今日から15日間有効です)
お好きな一切れをクリックして、フェーヴを当ててみて下さいね!
あっ、フェーヴは飲み込まないように気をつけて下さい(^-^)
誰が王様になれたかな?

トトのフェーヴコレクションはこちら

 
 

2006年01月08日(日)
パリのカフェとオーヴェルニュ人

 
日本に住む大学生の方から質問をいただきました。
日本の喫茶文化の研究をなさっていて、カフェという空間の持つ社会的意味について考察していらっしゃるそうです。元来日本のカフェは欧米から来たもの。そこで、パリのカフェについても調べているうちに疑問が湧いてきたとのことです。

パリのカフェの形成にはオーヴェルニュ地方から出稼ぎに来ていた人々との関わりが深く、そのオーヴェルニュのライフスタイルがオープンテラスという開放的なカフェの形態に深く結びついていると言うことを知りました。
しかし、日本にある文献で見当たるのはそこまでで、オーヴェルニュの人々のどのようなライフスタイルが、パリのカフェを開放感あるものに導いたのかという点が理解できませんでした。

クレランさんは、オーヴェルニュで暮らされていて、その地域の方々の暮らしのどのような点が、カフェの開放性に繋がっていると思われますか?
オーベルニュでは昔から屋外で何かを行うことが多かったのでしょうか?
オーヴェルニュは山間地帯という情報から、冷え込むのになぜオープンテラスと深い関係を持つ生活を営んでいたのかますます疑問です。

なるほどなるほど、こちらにいらしたわけでもないのに、なかなか鋭いところを突いていますね!冷え込むし、閉鎖的な気風ですよ、オーヴェルニュは。

みなさん、パリのカフェの約80パーセントが、実はオーヴェルニュ出身者によるもの、ということをご存知でしたか?身のこなしも垢抜けたギャルソンがオーヴェルニュ人だなんて、びっくり ?ガッカリ?!
パリのカフェをつくった人々」(玉村豊男著)の中で詳しく書かれていますので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
この本の中に答えが書いてあるかな?と思ったのですが、只今整理整頓中で込み入ってまして・・・というのは整理ベタの言い訳で、もうおわかりですね、本棚を探したのですが本が見つかりませんでした(笑)。

でも、2つ思いついた点があります。

その前に、ざっとパリのカフェの生い立ちに関わるオーヴェルニュ人についてお話しましょうね。


17世紀末からすでに、貧しい「中央山塊」地帯から華の都パリへの出稼ぎが始まりました。フランスの「中央にある山塊地帯」がすなわち、「オーヴェルニュ」と呼ばれているところです。
日本の「3K」ではありませんが、パリジャンがしたがらない苛酷な労働を地方からの出稼ぎ者が引き受けたのです。頑強で働き者のオーヴェルニュ人もそうでした。当時まだ水道の施設がなかったのですが、水は生活に必要不可欠なものです。そこでオーヴェルニュ人は都の水運び屋となりました。

水運び屋には2種類ありました。800から1200リットルもの水を馬車に引かせて運ぶもの・・・これは給水所の自由利用権を買えるごく一部の者だけができたこと。ほとんどの運び屋は、公共の水汲み場に列をなし順番を待って、十数リットルの水を2つの桶に入れて両肩にかけた天秤棒で担いで運ぶというものでした。それをアパルトマンの上階まで運んだのです。
「水や〜!み〜ず、みず〜」(A l'eau ! ou ai !, ou Oai !)と売り声をかけながら。(aiというのは「水」という言葉の方言を短縮して言ったものではないか、という義家族の推測です。)一回の手間賃は3スー(15サンチームくらい)、クリスマスにははずんだボーナスをくれる客もいました。

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けれども19世紀半ばオスマン男爵がパリ大改造を始めたため、水道施設が各家に行き渡るようになります。
あわや失業か・・・しかしここでくじけるオーヴェルニュ人ではありません。
より裕福な客層のために、入浴のためのお湯を運ぶことにするのです!
バスタブお湯を載せた荷台を客の家の前に止めると、まずバスタブを運び、続いて素早くお湯を運び、今度は中庭の水道の蛇口まで水を探しに行きます。そして、客人(特に女性が多かった)が体を洗っている間はアパルトマンへの入室は禁じられていましたので、暗い(かどうかは想像ですが)階段の踊り場で終わるのを待っていたのです。体を洗い終わった後のバスタブの中の水は中庭に捨て、バスタブをまた荷台に積み戻すまで、一滴の水も床に落としてはなりませんでした。

この水運び屋も、冬は需要が少なくなります。そこで取って代わってきたのは冬に需要の多い炭売りでした。 これがオーヴェルニュ人がブニャ≪bougnats≫と呼ばれるようになる始まりです。「シャルボニエ(石炭商、炭屋)」と言うのを、パリジャンがオーヴェルニュ風の訛りをまねて「シャルブニャ」と言い、それが縮まって「ブニャ」になったというわけです。

炭を売るには炭を確保する小さな店舗が必要となります。これは商売としてのリスクでもあり、同時にチャンスでもありました。
水運びの男達は、 妻帯者のほとんどは妻子を故郷に置いてやって来ているわけでしたが、宿の狭い一部屋に3,4台のベッドを入れて一人月約6フランの家賃でむさくるしい合宿暮らしをしていました。そこに女たちが掃除、洗濯、料理のために故郷からやって来ると、男達に負けず劣らず働き者のオーヴェルニュ女、水運びも手伝い、また炭の店番もする様になりました。男達が配達に出かけている間、店ではついでに野菜や果物も売っていたようです。
配達は50kgもの炭を水と同じように階上まで運ぶのでしたが、雨の日には濡れた袋の重みはさらに増しました。
当時彼らは他にも、街灯の火を灯す仕事をして稼いでいました。1日1時間位と決まっていましたから、少なくても定額の収入になったのです。
こういった小さな稼ぎをコツコツ貯めながら、彼らが楽しみに日に足げに通ったのは酒屋でした。
ここで一杯ひっかけて燃料補給。オーヴェルニュ人は実はすごい酒飲みなのです。(確かアルコール中毒が最も多い地方・・・じゃなかったかな?(;-_-)
そのせいでしょうか、炭のほかに自分達でワインを売るようになったのです。質素で厳格な気風を持つ彼らは教会からのお墨付きを得て炭兼酒屋になりました。

これが、ブラッスリー、そしてパリのカフェの始まりでした。

ふぅ〜〜タイムマシンの駆け足でした〜。


* 参考サイト:以上はHistoire-Généalogie Métiers de nos ancêtresLes aveyronnais de Paris を元に書いています。

あら?でもまだ、質問にお答えしていませんでした?(∩_∩;)

ここでようやっと質問に戻ります。(^-^)

(探してみた仏語のサイトでも答えは見つかりませんでしたので、私の体験からの感想を書きますね。)
 
 

2006年01月02日(月)
レベイヨン

 
Bonne Année!!

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皆さまにとって、幸多い2006年でありますように!
今年の抱負はもう決めましたか?
私は今年はいろいろありすぎて欲張りすぎるくらいなので、つい先ほど全部紙に書き出してみました。一年後にそれを読んでどう思うでしょうか?楽しみです。

さて、日本では大晦日からお正月と言えば、基本的に家族行事ですが、こちらはクリスマスが家族行事、31日の夜は友人たちと過ごすものとなっています。
おしゃれをして普段食べないご馳走を食べて、0時の時報とともに、友人達とビズをしあって新年を祝います。この晩餐をレベイヨン(réveillon)と言うのです。
レストランは予約でいっぱいになるわけですが、私たちのように自宅でやる人も多いのです。

先日ラジオでやっていたアンケートでは、実は90パーセントのフランス人が、このレベイヨンにストレスを感じている、ということでした。
というのも、これがピシッと決まってこそ1年の良い締めくくりになる…という世間の価値観がある種重荷でもあるということです。
クリスマスという一大イベントの後、この時期疲れていて本音としてはレベイヨンをやりたくないけれども、やらないと寂しいやつだと思われたり、1年がしくじってしまったような気になる、という葛藤があったり、誰とどんな風な晩餐をするかというのが成否にかかっているのになかなかいい相手が見つからなかったり…という意識があるようです。

私たちといえば、夫はそういう行事には全くと言っていいほど「義務」を感じないどころか、本当は夜9時に就寝できるのが一番嬉しくて、幸せな年明けを迎えられる人なので、疲れていれば夫婦二人だけで静かにやるのもいいし、タイミングが合えば友だちとわいわいするのもいいし、と毎年フレキシブルに過ごしてきました。
ただし去年は忘れもしない・・・悲惨な大晦日でしたので、今年は夫婦仲良く円満に過ごせたのがとっても幸せだと感じました。
一年でこんなにも状態が変わる、という「諸行無常」をしみじみ(良い意味で)実感しました。もし今が最低の状態の方、来年の今頃は、がらりと良くなった環境にいるかもしれません。希望を失わないで下さいね。一年の流れを信じて下さい。


今年は友人宅で、夫婦二組で過ごしました。

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夜の8時に始めて、朝方5時までの計9時間の晩餐会でした(!!!)。その間、したことと言えば、本当に食べることと喋ることだけ。
(料理を温めたり、盛り付けたり、というわずかな作業をのぞいて。)トイレにも行ってません(笑)。
食事はそれぞれ持ち寄りで作ったのですが、F氏の作った料理、それはそれは美味しくて、アッというまの時間でした。
写真の料理、ぜーんぶ、食べたんです。すごい胃袋ですね(笑)。撮ってない皿もあります。お酒とかデザート。朝から何も食べずに臨んだ甲斐がありました。
(冒頭の写真は、中間に消化促進のために飲んだウオッカの瓶と結氷です。)

F氏の料理はいつも美味しいのですが、味を通して私が一番感じるのは、彼の「懐の深さ」です。
会っていると、いつも自信満々で、人より常に前に出ようとする彼の新進気鋭な性格が表立っているのですが、料理を口にすると、そんなしゃしゃり気味の彼は姿をひそめて、彼の惜しげない愛情、相手に分け与えようとする気前のよさ、そんな懐の深さに触れるような料理なのです。
これが父性愛の味というものなのでしょうか…?
母性愛にも近いものを感じるような、ふくよかで豊穣な味なのです。
自分は一口も食べられない牡蠣や貝を、私1人だけのために用意してくれたのも、その表れでした。牡蠣を開けるのはやっかいな作業なのに、指先を切りながら、沢山の牡蠣を開けて用意してくれていました。
おいしさに無口になりながら浸っていると、その姿を見ているだけで嬉しい、と心から喜ぶ人なのです。

そんな惜しみのないエネルギーを持てる人になりたい、と私は反省しながら、今年の抱負に加えました。

食事の前は長かったロウソクも・・・・

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とろとろと溶けて、こんなに短くなっていました。

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今年も一年という長ーいロウソクに火を灯したばかり。気の長…いお付き合いを、よろしくお願いいたします♪