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2009年11月15日(日)
やる気がないときは

 
前回のワークショップの続きの話ですが、もうひとつ印象に残ったのは、「やるき」と「どうき」の話でした。
「やる気」と「モチベーション」の2つを多くの人は取り違えている、という話から始まりました。

「やる気」というのは、人間だれもが持っているもの。人間というものはそもそもやる気というものを本質的に持っているもの。やる気を持たずして生まれてくる人はひとりもいない。と講師は力説しました。

けれどそれと「モチベーション」というものはまた別。モチベーションは動機付け。「やる気」を引き出すのが「モチベーション」。
(以下、紛らわしくならないように「モチベーション」のことを「動機付け」と日本語で書くことにします。)
その時々に適した動機を見つけてやれば、必ずやる気は起こる。
やる気がないのは、この動機付けが間違っているか、見つからないか、だけなのですって。つまり、ヤルキがない、のは、ドウキがない。
だから「やる気がないやつだ」と部下や子供を叱りつけるのも、「だめだな〜わたしって」と自己嫌悪に陥るのも間違い。

という話に、とっても納得できました。


講師は「やる気が出なくてだめなんです。」と弱気な発言をした参加者に、叱咤したといった方がいいかもしれません。「やる気がない人間だ、なんて言っちゃだめ。そんな人間はいないんだから。動機付けが見つからない、と言ってほしいわ。」と、その叱咤がとても暖かくて、印象に残ったのです。


自分を知った上で、その時その状況にあった動機付け(目標やごほうび、喜びとなるもの)を見つけることがポイントなのですね。  ・・・って、言うは易しですが。

ずっとやる気があったのに、突然なくなってしまったら、やはりそれも原因があることでしょう。今までの動機が効果を発揮しなくなったということですから、動機付けの見直しが必要ということですね。

部下や子供も同じこと。本人をよく観察して、やる気の機動力になっているものは何なのか、上手に引き出してやることが指導者の役割でしょう。

コミュニケーションにしても、動機付けにしても、まずは自分自身を知ることから。


<今回の話のポイントはここまで↑ですので以下は蛇足です。>

私の中でしっくり来る言葉を使って言い直すと、私たちはみんなやる気というを持っている。それにをつけるのは、動機というマッチなのです。それを阻むのは逆風

どんなにがんばってマッチを擦っても、逆風や湿気があれば取り除かなければなりません。
そして火をつけやすくするために、小さな木片新聞紙などを最初に燃やしますが、それがご褒美とか、より大きな目標の前に短いスタンスで遂げたい目標とか。
逆風じゃなくて、周りの反対とか応援とか、煽るもの)も必要です。
最終的に薪を燃やすのが目標ですが、それにまつわる作業はいろいろとあるわけですね。(家の暖炉があるので、私にはこういうイメージになりますが、 みなさんは馴染みのある他のものに置き換えてみて下さいね)



それで思い出したのは、私の車の免許取得の場合でした。
あの時、「免許は必要だ」「やる気にならなければ」ということは十分すぎるほど頭ではわかっていたのに、どうしてもやる気になれませんでした。それは、私の中に「恐怖」があったため、先に進みたくなかったのです。運転=事故=死という「恐怖」が、私のやる気を阻んでいたのですね。
「免許がなければ暮らしていけない。どうしても必要」という状況は、十分すぎるほどの動機付けになるはずのものでしたが、それだけではやる気に強力なブレーキをかけている「恐怖」をはずすことが出来ませんでした。まず第一に「恐怖」をはずすための動機付けが何より必要だったのです。


免許は必要、という「マッチ」がありながら、恐怖という「逆風」が強すぎて、やる気という薪に「火」をおこすことが出来ない状態だったのですね。それで、逆風を鎮めるための環境作りや、心構えが必要だったのです。
でも、そこに気がつくまでに随分と迂回もしたし、長い時間がかかりました。こうやって分析できるようになったのは、免許を取った後のことです。

このように、どうしてもそこに到達しなければならない、とわかっていて、やる気がでない場合は、それが本当に必要なことなのかを検討し、どうしても必要だとなったら、やる気を阻んでいるものは何なのかを考えてみるとよいのではないでしょうか。直接的な動機付けだけじゃなくて、間接的なこともすべて考えてみると良さそうです。

仕事でいえば、業績を上げなければならないとわかっていても、どうしてもヤルキになれない時は、業績アップそのものをドウキにしても効果がないということですから、ブレーキをかけているもの(例えば交渉が苦手とか、職場の人間とうまくいかないとか、マンネリとか・・・)を取り外せるようなドウキを探すとか、何か他のことでヤルキが出せるドウキを探して、その他のことをすることで業績につながるようにしていく、という風に。


また、大きなブレーキはないけれど、なんとなく億劫で面倒くさくてやる気になれないものには、「もらい火方式」があります。(←勝手に名づけた)
目当ての薪に直接火をつけるのではなく、別の薪に火をつけます。
その薪がぼうぼう燃えたら、本来火をつけたい薪に重ねて、一緒に燃やすのです。

卑近な例ですが、最近発見した、私のきらいな『アイロンかけ』促進方法。
こちらの家事はアイロンかけがかなり重要な位置を占めていて、あらゆるものにかけると言ってもよいくらい。義母なんて下着のパンツまできれいにするくらいですが、そこまでしないまでも下手なうえに好きでもない私がやると、大抵1回2−3時間はかかります。毎日少しづつかければそうはならないのでしょうけど、苦痛なのでつい溜めて溜めてためまくり、溜まるのでさらに苦痛になるという悪循環、家族が「もう着るものが一枚もな〜い!」と根をあげ出すと半日かける覚悟でしぶしぶやるわけだったのですが。ついに私の心にも変化が
友人がせっせと貸してくれるDVDの映画を見る時間がないので、アイロンかけをしながら見ることにしたのが始まり。「DVDを観るのはアイロンをかけるとき。」そう決めたら、DVDを見るのが楽しくて、今ではDVDを見たさにアイロンをかけられる服を探してしまうくらいです (DVDに没頭しすぎて、服を焦がさないようにしなければならなくなりましたが。)

いかがです、「もらい火方式」の威力(笑)。

これを分析すると、私の中では「アイロンかけ=時間のムダ」という気持ちがどこかであったのです。
シワの一本や二本、いや、10本や20本・・・いや、シワくちゃだっていいじゃん!・・・という感じですね(笑)。
でも、世間がそうは問屋は卸さない。そんな時間があったら、他にもっと有意義なことをしたいけど、着ていく家族に恥ずかしい思いをさせないためにやらなければならない。なので、ぎりぎりまで溜めて一気にやる・・・・・という図式になっていました。
その「時間」を使って他に楽しいこと(しかも、時間がないために出来なかったこと)が同時に出来るなら、ムダではないと、自分自身で思えるわけです。

日本の巷では、おトイレ掃除をすると金運がアップする、なんてことも言われているようですが、それも、おトイレをきれいにしよう、というだけではヤルキが出ない人向けにヤルキを起こさせるための案なのではないかと思ってしまいます。

そういえば、「○○を買うともれなく△△がついてくる」というのもこの方法ですね。
私の場合、さしずめ 「アイロンかけをすると、もれなくDVDがついてくる」というわけです。
「な〜んとなくやりたくないなぁ。。。」ぐらいの事だったら、この「もれなく」「もらい火」方法で片付けていけそうです。


まるでビリヤードみたいに、ひとつの玉を目的に入れるために、違う玉から動かしていく。心の中でも、そんなアプローチが必要なのですね。



さて、私には今また、どうしても大きく進めないでいることがあります。
自分の中にそれを阻んでいるものがあるのはわかっているのですが、うまく分析できないでいます。心の中で「逆風」がビュウンビュウン吹いて荒れまくっていて、身動きできません。逆風どころか、「水浸し」かもしれません。まずはこれを取り除かないと。

この春からずっと、一人心の中で、この水浸し逆風状態と格闘しているのですが、どうやったら的確な動機付けをして抜け出せるのか、まだ見つかっていません。どうやらこれが私の心理パターンのようです。やる気を阻むものは、物理的なものではなくて、自分で作った心理的壁や怖れだったりするのです。考えると、子供のころからこの格闘を定期的に繰り返してここまで来たように思います。

今回も発火点を見つけたいのですが、もうちょっと自分の奥深く入り込んで考えなければならないようです。そして、今までと同じようにまた一歩クリアできる日が来ると信じています。

皆さんのやる気を阻むものは大抵の場合、何ですか?
どうやってやる気にブレーキをかけているものを取り除きますか?

今回の記事は、もっと簡潔にまとめるつもりだったのですが、書きながらどんどん長くなってしまいました。わかりにくい内容になってしまったかもしれませんが、最後まで読んで下さってありがとうございました。

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2009年11月02日(月)
自分の領域と相手の領域

 
心理学のワークショップというものに初めて参加してみました。
内容は「周囲と、そして自分自身と調和しながらコミュニケートする」というテーマでした。
周囲と調和する、ということは和を尊む日本では大切なこととして育てられますから、目新しいことではありませんが、ここに「自分自身と調和する」ことが加わると、はたしてどうでしょうか。私にとってはここが興味を惹かれた部分でもありました。

周囲と調和しているように行動していても、自分自身と調和していなかったら? つまり周りに合わせすぎて、自分を抑えすぎてしまっていたら?周囲と波風立てないために、自分の意に反したことをしていたら? よくありがちなことだと思うのですが。
逆に、自分自身と調和していても、周囲から浮いてしまったら?エゴイストだと非難されてしまったら?
そのバランスがむずかしいのではないでしょうか。

出席していたのは私以外は全員フランス人でしたが、彼らの発言で圧倒的に多かったのが「当然、第一に自分自身と調和することが大事」というもので、周囲との調和は2番目に来ていることが興味深かったです。
でも中には、そうじゃない人もいて、例として「現在職探し中なのですが、大切な採用面接がある日に、隣人に子供を預かってもらいたいのだけど、その隣人も自分の子育てで忙しいのに私の都合でそんなことを頼んだら、悪い母親だと思われるのではないかと思って頼めずにいる」という、「あなたニホンジン」と思うような発言もありました。

ワークショップの結論から言ってしまえば、自分自身と調和することなくして、周りと本当に調和することはできない。自分を偽れば、周りをも偽る。そこに、コミュニケーションは成り立たない、というものでした。

上手にコミュニケートするためには、まず自分を知ること。それをシンプルに伝えていくこと。 それをどう相手が受け取るか、というのは相手の領域であって、発信側の領域ではない。そこに発生する相手の感情というのは相手が所有し責任をもつものであるから、それを憶測であれこれ気を揉んで気を回しすぎた表現をする必要はない。まずは正直な自分を表現し、それをどう受け取るかは相手に任せる、というものでした。

どう感じるかは相手側の責任、と言っても、だからこちらが言いたい放題を言って相手が傷ついても相手の責任、という意味ではもちろんありません。誠意あるコミュニケーションを前提とした上で、相手の反応を気にしすぎて本当の自分の気持ちや考えを伝えられない人に対するアドバイスなのです。

上のフランス女性の例で言えば、「相手が自分を悪い母親と思う」かどうかは、相手が決めることであって、話す前に気を揉む必要はない。それはかえって相手の領域を侵すおこがましい行為でもある。就職試験という機会が本人にとって大切なものである、ということと、子供を預かってもらって申し訳ないが大変助かって感謝している、というこちら側の状況と気持ち、それをしてもらうとどうなるかという予想結果、の3つを、きちんと伝えることが大切で、それでもし本当に悪い母親だと思われたら、それは仕方がないこと。と、講師の意見はスッパリしたものでした。(そうはわかっちゃいるけど、割り切れないのが人情というものですが。)

感情表現の激しい人たちを身近に抱えていて、ついそれらの感情に振り回されそうになる私としては、相手の気持ちを先回りして汲んで気を遣う日本人的発想とは違ったこのアドバイスは、こちらで暮らしていく上でとても気持ちが楽になるものでした。


まずはできるだけ自分に忠実に表現し、それをどう受け取るかは相手に任せる。なぜなら相手がどう受け取るか、どう感じるか、というのは相手が所有する感情であって、こちらが支配するものでも所有するものでもないから。相手が怒ったり泣いたりしても、それは相手自身が引き起こしたもので、相手の領域の問題である。。。というところが、とても印象に残りました。

逆に言うと、相手が発信してきたことに対して、どう感じるか、というのはこちら側の選択であり責任ということになりますね。


誘われて軽い気持ちで返事をして参加したのですが、得るところが沢山あり、いくつか目からウロコが落ちました。


もうひとつ印象に残った話は「やる気について」でした。よろしかったらまた次回に書いてみますね。


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今回の話、皆さんには参考になりましたか?
 
 

2009年01月06日(火)
孤独と仲良くつきあう法

 
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この年末。耳に届いてくる声は泣いており、受話器を持つ私の手は震えていました。
「お願い、私は英語がしゃべれないから・・・あなたから姉のだんなさんに伝えてもらえる・・・」
もちろんよと言ったものの、私もかなり衝撃を受け、動揺していました。言い間違いのないように辞書を繰り、メモを取ってから、国際電話のダイヤルをプッシュました。

「ハロー、L…の妹さんから頼まれて電話をしています。今夜、L…は入院したということをお知らせします。彼女は、自殺未遂をしたのです。幸い、命に別状はありません。大丈夫だと警察が伝えてきました。病院の電話番号は・・・・・・・」
どうにか落ち着いて話すようにしながら用件を伝えると、だんなさんは初めて話をする私に受話器の向こうから吐露しました。「ぼくには仕事があるんだ。稼がなくちゃいけないんだ。ここを離れたら、稼げなくなる。彼女は一緒にフランスに住んでほしいというけど、フランスに行っても僕はフランス語も話せないし、仕事もない。僕は稼ぐためにこの町を離れられないと彼女も知ってるはずなんだ。この町では彼女は幸せじゃない、だから勝手にフランスに帰っては長居をしているけれど、僕にももうどうしていいかわからない。離婚しようと彼女が言ったんだ。それで君が幸せになるならそうしようって言ったけど、死にたいとも言われたよ。僕だって本当に本当に悲しいんだよ・・・。」


冒頭の電話の主のお姉さんは、フランス人ですがアメリカ人と結婚し、アメリカの大都市で約30年暮らしてきました。陽気で華やかでジョークが得意で、どこにいても人目を引き、場を盛り立てる女性でした。それは今でも年齢を感じさせないほど(20歳は若く見える!)、美しく着こなしが上手なのです。それが、勤めていたショップを数年前に定年退職したのを機に、人間関係が変わり(というより無くなり)すこしづつ歯車が狂い始め、ウツの状態になっていったようです。
そういえば、その時にこぼしていた言葉を思い出しました。
「仕事をやめたら、人付き合いがなくなってしまうのよ。友達も仕事がなければ出来ないの、アメリカって。表面的な付き合いしかないのよ。」
それが本当のアメリカなのかどうかわからないけれど、ずいぶん寂しい環境に彼女がいるんだなと思ったものでした。子供はいない夫婦ですが、だんなさんの羽振りは良く、フランスの家族から見ればリッチな暮らしを謳歌しているように聞いていたからです。それが頻繁にフランスの実家に戻ってくるようになり、最初は短期だったのが、だんだん長期滞在になり、いつまでいるという日程もないままアメリカに戻らなくなりました。

たとえ30年暮らそうとも、やはり、人生の最後は自分の生まれた国に戻りたくなるのだろうか・・・・・・ホームシックを味わっていた私には、彼女の変化は痛いほど心に響きました。もちろん国だけではなく、夫婦関係の問題であることも今回わかりました。モーレツ仕事マンのだんなさんの言葉は、二人の人生の方向がすっかり違ってしまったことを物語っていました。

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大晦日の夜、友人3夫婦で朝方まで食事を楽しんでいると、一人が急に涙を流しました。新年を祝う電話を実家にした後のことでした。お母さんがこのところウツなのだと、新年を迎える今夜も彼女がひとりきりでいて寂しがっているのを知り、悲しくなってしまったと言うのです。
3年前に伴侶をなくして以来、お母さんはまだ精神的に立ち直れないでいるのです。
「父はね、とっても嫉妬深い人だったの。母がひとりで何かをするのを嫌がって、母をどこにも出さないで来たの。それで母は父なしで行動することがなかったのよ。今ひとりになってしまったら、なにも出来ないの。ひとりでは運転もできないの、免許を持っているというのにね。それで子供みたいになって・・・ただ父のことを想っては悲しみに暮れているのよ。」
3人の娘を育て、いつも夫の援助とともににぎやかに家族に囲まれて過ごしてきた女性が、急にひとりで放り出されてしまったのです。娘たちはそれぞれ結婚し家庭を持ち、夫は定年退職して間もない頃でした。何より、だんなさんとは10代の頃からのお付合いだったそうですから、分身と別れたようなものですね。
でもその寂しさを、今のところ、誰も助けてあげられないのです。

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究極の孤独を感じるこの二人の女性の話を同時期に聞きながら、孤独について考えさせられた年末年始でした。寂しがりやな私だからこそ、余計に感じ入ってしまったのですが。
孤独は、ひとりとは限らず、家族の中でも、カップルの中でも、友人との間でも存在します。
この二人の女性は老後を過ごしていますが、若くても、中年でも、年齢に関係なく孤独は存在します。社会的に人気を博していても、成功していても、無名でも、失敗していても、孤独は存在します。
いかにして、孤独と共存していくか。それが人生の大切な課題なんじゃないかとあらためて感じたからです。
上手に生きるということは、上手に孤独とつきあうことが出来ることが、必要不可欠。そんな気が切実にしました。

大晦日の夜は、私も特別に母のことを想っていました。日本でたったひとりで除夜を過ごす母。いつも多くの趣味を持ってあちこち飛び回っているけれど、お正月には一緒に年越しそばをすする家族がほしいに違いない、と思うからです。
もともと孤独に強い人だけれど、彼女の心の中にもいつだって寂しさがあるのだとは思うのです。でもそれを他人や私には見せないように努力しているのかもしれません。ひとりで新しいことを開拓し、発見し、楽しいことを携帯メールで送ってくれる、そうやって上手に独りを楽しんでいる彼女の姿そのものが、娘の私にとってどんなに力強い癒しになっているかわかりません。
上手に孤独とつきあう、それは、大切な人間関係を守っていく上でもとても大切なことなんだな、と思うのでした。

夫婦のパートナーシップをいつまでも保っていけるのが理想だけど、将来万が一、私が一人身になることがあったとしたら・・・、そこで上手に生きられなかったら子供たちに悲しい想いをさせてしまうし、迷惑をかけてしまう。そんなことのないように、生きられるだろうか・・・?私は自分に答えのあやしい疑問を投げかけました。

人は生まれてくるときも死ぬときも独りだ・・・という言葉がありますが、そうじゃないですよね。だって、生まれてくるときは、お母さんのお腹から出てくる、だからお母さんがいるんですから。生まれてくる前だってお腹の中で一緒です。でも死ぬときは、いつ、どこで、誰に看取られるかわかりません。ひとりで死ぬ可能性だって高いわけです。だから、人は孤独というものを生まれてから初めて体験し、人生を通して学んでいくものなのではないでしょうか。そう思うと、やはり孤独というものに対する理解と覚悟は必要だな、と思うのです。

愛する人がいなくなってしまったら、愛する相手と分かり合えなかったら、友人となる人がいなかったら、子供が巣立って行ってしまったら、グループの中で孤立してしまったら、物理的にひとりにならなくてはならなかったら、ブログに書いた記事になんのコメントももらえなかったら(・・・!)・・・・・・・理由はいくらでも数え切れない。
そんな孤独の時期を、上手に孤独の感情に耐え、仲良くしていくことが出来たなら
また新しい扉が開くのだけれど、時には化け物のように強大な孤独に呑まれそうになることだってある。突然そんな環境に陥ったら、どうやって精神的に抵抗力をつけたらいいのでしょう・・・・・「そのためにも心の準備」、「そうならないためにも環境の準備」が必要かもしれません。

私が経験から思うことは、孤独の時期は、充電期間だということ。言い換えると、孤独のパワーは充電パワーに変換可能だということ。
そして、孤独は誰かに埋めてもらうものではなく、自分自身の中に、それを埋める力があるということ。


皆さんはどう思いますか?



↓一緒に孤独について考えてくれてありがとう。