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2007年07月07日(土)
ボルヴィック水

 
しばらく、凧糸の切れたタコみたいになってました。
その間、ご連絡もできないで、あちこち不義理をしてしまいました。ごめんなさい。
糸を結びなおしてくれたのは、先月通ったカイロプラクティックの先生です。
体に一本、シャンと筋が通って、自然と糸のもとへ戻って来れたのですから不思議でした。
その先生に言われました。
「あなたに必要な水は一日1.5リットルです。食事中に飲む水分は数えないで1.5リットル飲んで下さいね。」

皆さんは一日どのくらいの水を飲まれますか?
フランスでは、カイロの先生でなくとも一般に、成人に必要な一日の水の摂取量は1.5リットルとよく耳にします。
実は私は普段はほとんど水分を摂らないのです。朝紅茶を一杯飲むだけ。
食事中も食べることに夢中で、飲むのを忘れてしまいます(笑)。
気がつくと、コップ一杯のお水も飲まずに一日が終わろうとしていることに気がつきます。
だって、全然のどが渇かないんですもの!
他に水分を摂るとしたら、食事中のワインぐらいでしょうか。
通訳の仕事のときは、ミネラルウォーターのボトルはのどを潤すための常備品ですが、それでも1リットルも飲めません。
ひぇぇぇ。。。そんな私に一日1.5リットルもの水をどうやって飲めと?!

「水分が足りないと、どういうところでわかるんですか?」と聞いてみると
髪や爪がもろくなったり、体の関節がかたいような感じがしたら、まず体内の水不足の初期の症状です。」とのこと。
髪や爪が弱るのは、カルシウム不足かと思ってました。よくそう言われるけれど、実際は水の補給不足のことが多いのだそうです。これが最初のサインなのは、生命に危機のない部分からまず、水分が行き渡らなくなるからなのだそうです。
そんなわけで、のどの渇きを覚えなくても、飲む工夫が必要なんですね。やはりたくさん飲んでも体に負担のかからない、優しい成分のおいしい水を飲まなくてはと思ってしまいました。

そうとなれば、ちょうどいい具合に美味しい地元の水があるではありませんか。ミネラル分のバランスが良く、日本人の口にも合うナチュラルな水が。
「オーヴェルニュ地方」と言っても、知らない人は多いけれど、「ボルヴィック」と言ったらご存知ですよね?ボルヴィックはここオーヴェルニュにあるボルヴィック村の水源から採水され、ボトリングされているのです。
ボルヴィック村近くに住んでいた友人は、以前、彼女の自宅の水道水も同じ水源だからお肌もすべすべ!と自慢していましたが、ほんとかな・・・??

サイクリングやハイキングに行くときに、早速ボトルポーチを腰につけて出かけてみました。これで50cl補給。

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ちびちび飲まずに、のどの奥でゴクゴク飲みたいときはコチラ。

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最近は、砂糖が入っていないフルーツの香りいっぱいのボルヴィックも出ました。子供が喜んで飲んでます。

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ところで、ミネラルウォーターと、ナチュラルウォーターと、ナチュラルミネラルウォーターは、それぞれ違うんだって、知ってました? さてボルヴィックはこのうちのどれでしょう?
答えはこちら⇒ Volvicミネラルウォーターレポート


ボルヴィックのボトリング工場は誰でも予約をすれば、見学することができます。(6、7、8月)
水が滾々(こんこん)と湧き溢れ出ているイメージがあったのですが、実は、ボルヴィックの水は、外気に触れることは一切ないのだと、そのくらい厳重に管理されているのだと工場の方に教えてもらいました。

ボルヴィック村の入り口。火山岩で造られた標識です。今では珍しいものです。

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ボルヴィックの編集部の方々も、ボルヴィックの工場を訪れて、ナチュラルミネラルウォーターの(あっ、答えを言ってしまったヮ)秘密を細やかに解き明かすと同時に、オーヴェルニュの魅力、クレルモンフェランの街の歴史を紹介して下さっています。これは是非、是非読んでみて下さい!現在更新中のマガジンになっています。⇒Volvic Magazine

Mineral Water Reportでは、どうやって水を上手に摂取したらよいのか、水についてのわかりやすい説明もとっても面白くてためになります。(ちなみに「うるおい度チェック」をしたら・・・・・000%の結果が出てしまいました私。トホホ・・・このままじゃ、シワシワになっちゃう?!)
飲み出したら止まらない・・・じゃなかった、読み出したら止まらないとっても美味しいサイトです。⇒Volvic.co.jp

編集部の皆さん、是非また水分とコラーゲンを補給しにいらして下さいね。

それでは、ブログにいらして下さっている皆さんも、水分をた〜っぷり補給して、元気な夏をお迎え下さい!(1ヶ月ほど留守にします)



 
 

2006年12月11日(月)
ラ・プール・オ・ポ

 
1年の最後の月になると、なぜかなんとなく、したくなることがあります。
それは、ビジネスランチ。


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普通はしたくなってするものじゃなくて、しなくてはならなくてするものでしょうけれど、この場合は違います。だって相手は夫ですから。
「ビジネス」じゃなくて単なる「ランチ」と言えば話は早いのですが、そこがミソです。
週末に二人で一緒に出かけるのではなくて、バカンスで一緒にランチするのでもなくて、平日の昼に仕事の合間に外でするランチだから、です。
私も仕事で夫の職場の近くに出るときはグッドタイミングですが、そうじゃなくても、時間を示し合わせて彼の職場の近くまで出向きます。
待ち合わせをして、少し待ったり待たせたり・・・それから急ぎ足でレストランに行くのです。

日常の生活では、一緒にいるか、一緒に家を出るか、のどちらかが圧倒的に多いので、「外で待ち合わせをする」ということは思いの外わくわくする出来事です。恋愛時代のデートを思い出しませんか。
仕事の合間にキビキビと待ち合わせ場所に現れた相手を見るのは、お互いに新鮮な印象。1時間という限られた時間内で、気持ちが集中して、普段家では話さなかったこと/話せなかったことなども違う気分で話せてしまうからとっても有意義なのです。

季節を問わず、たまにしたくなるものですが、なぜか1年の終わりとなると、締めくくり感が湧いてくるせいでしょうか。このビジネスランチデートがしたくなります。
もともと、滅多に家族で外食をしない我が家、バカンス中ですら基本は自炊なので、「レストラン」と聞いただけで恍惚とお祝い気分になるせいもありますが(笑)。

そんなとき、クレルモン・フェラン市にある「Chez Jonathan」というレストランに行ったことがあります。前身は「ビストロガストロ」と言って、その時代から贔屓のビジネスマンも多く、美味しいとのうわさはいろいろなところから耳にしていました。働き者の奥さんの美由紀さんは日本人、男前のシェフは韓国出身フランス人のジョナタン。

残念なことに私はその後も滅多にクレルモンに行かれませんでしたし、美由紀さんとお話しする機会もほとんどなかったのですが、同じオーヴェルニュで頑張っている日本人女性がいる・・・ということが、どんなに心ひそかに強く支えになっていたかしれません。

それが、おととしの暮れだったかしら、久しぶりにクレルモンに “上京”すると・・・・・・・・ない!!
見知った看板はあるべきところにありませんでした。店の名前は様変わりして違うレストランになっていました。
愕然と目を疑いました。一体どこへっ????
中の店員に聞いてみると、「日本へ行ったそうですよ。」
に、日本へ!!
その瞬間、おいてきぼりにされたヘンゼルとグレーテルのような気持ちになったものです(泣笑)。
かつて知った店がないことを知ると、突然街が味気なく白々しいものに思えてきました。

でも、その後まもなく嬉しいニュースを知りました。東京の池袋でオーヴェルニュ料理レストランを開店したということです。
クレルモンはさびしくなってしまったけれど・・・でも、きちんとしたオーヴェルニュの味が東京に行ったということは、また違った喜ばしい意味でしみじみとします。
頑張っている美由紀さんとシェフの姿が目に浮かびます。
そしてそのことが私の心を熱く励ますのです。

もっと早くにご紹介したかったのに、こんなに遅くなってしまってごめんなさい。

ラ・プール・オ・ポ」 のブログ 

住所: 東京都豊島区西池袋5-28-3 ノアビル地下1階
定休: 日曜
平日: 11:30 - 14:00 / 18:30 - 21:00
土曜: 11:30 - 14:00 / 18:30 - 21:00
電話: 03-3959-8820

『ラ・プール・オ・ポ』は家庭料理の名前ですが、私も以前フランス人宅で出されて美味しかった思い出のある一品です。
次回は、池袋のこのお店でビジネスランチデートが出来たらいいな♪



 
 

2006年01月08日(日)
パリのカフェとオーヴェルニュ人

 
日本に住む大学生の方から質問をいただきました。
日本の喫茶文化の研究をなさっていて、カフェという空間の持つ社会的意味について考察していらっしゃるそうです。元来日本のカフェは欧米から来たもの。そこで、パリのカフェについても調べているうちに疑問が湧いてきたとのことです。

パリのカフェの形成にはオーヴェルニュ地方から出稼ぎに来ていた人々との関わりが深く、そのオーヴェルニュのライフスタイルがオープンテラスという開放的なカフェの形態に深く結びついていると言うことを知りました。
しかし、日本にある文献で見当たるのはそこまでで、オーヴェルニュの人々のどのようなライフスタイルが、パリのカフェを開放感あるものに導いたのかという点が理解できませんでした。

クレランさんは、オーヴェルニュで暮らされていて、その地域の方々の暮らしのどのような点が、カフェの開放性に繋がっていると思われますか?
オーベルニュでは昔から屋外で何かを行うことが多かったのでしょうか?
オーヴェルニュは山間地帯という情報から、冷え込むのになぜオープンテラスと深い関係を持つ生活を営んでいたのかますます疑問です。

なるほどなるほど、こちらにいらしたわけでもないのに、なかなか鋭いところを突いていますね!冷え込むし、閉鎖的な気風ですよ、オーヴェルニュは。

みなさん、パリのカフェの約80パーセントが、実はオーヴェルニュ出身者によるもの、ということをご存知でしたか?身のこなしも垢抜けたギャルソンがオーヴェルニュ人だなんて、びっくり ?ガッカリ?!
パリのカフェをつくった人々」(玉村豊男著)の中で詳しく書かれていますので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
この本の中に答えが書いてあるかな?と思ったのですが、只今整理整頓中で込み入ってまして・・・というのは整理ベタの言い訳で、もうおわかりですね、本棚を探したのですが本が見つかりませんでした(笑)。

でも、2つ思いついた点があります。

その前に、ざっとパリのカフェの生い立ちに関わるオーヴェルニュ人についてお話しましょうね。


17世紀末からすでに、貧しい「中央山塊」地帯から華の都パリへの出稼ぎが始まりました。フランスの「中央にある山塊地帯」がすなわち、「オーヴェルニュ」と呼ばれているところです。
日本の「3K」ではありませんが、パリジャンがしたがらない苛酷な労働を地方からの出稼ぎ者が引き受けたのです。頑強で働き者のオーヴェルニュ人もそうでした。当時まだ水道の施設がなかったのですが、水は生活に必要不可欠なものです。そこでオーヴェルニュ人は都の水運び屋となりました。

水運び屋には2種類ありました。800から1200リットルもの水を馬車に引かせて運ぶもの・・・これは給水所の自由利用権を買えるごく一部の者だけができたこと。ほとんどの運び屋は、公共の水汲み場に列をなし順番を待って、十数リットルの水を2つの桶に入れて両肩にかけた天秤棒で担いで運ぶというものでした。それをアパルトマンの上階まで運んだのです。
「水や〜!み〜ず、みず〜」(A l'eau ! ou ai !, ou Oai !)と売り声をかけながら。(aiというのは「水」という言葉の方言を短縮して言ったものではないか、という義家族の推測です。)一回の手間賃は3スー(15サンチームくらい)、クリスマスにははずんだボーナスをくれる客もいました。

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けれども19世紀半ばオスマン男爵がパリ大改造を始めたため、水道施設が各家に行き渡るようになります。
あわや失業か・・・しかしここでくじけるオーヴェルニュ人ではありません。
より裕福な客層のために、入浴のためのお湯を運ぶことにするのです!
バスタブお湯を載せた荷台を客の家の前に止めると、まずバスタブを運び、続いて素早くお湯を運び、今度は中庭の水道の蛇口まで水を探しに行きます。そして、客人(特に女性が多かった)が体を洗っている間はアパルトマンへの入室は禁じられていましたので、暗い(かどうかは想像ですが)階段の踊り場で終わるのを待っていたのです。体を洗い終わった後のバスタブの中の水は中庭に捨て、バスタブをまた荷台に積み戻すまで、一滴の水も床に落としてはなりませんでした。

この水運び屋も、冬は需要が少なくなります。そこで取って代わってきたのは冬に需要の多い炭売りでした。 これがオーヴェルニュ人がブニャ≪bougnats≫と呼ばれるようになる始まりです。「シャルボニエ(石炭商、炭屋)」と言うのを、パリジャンがオーヴェルニュ風の訛りをまねて「シャルブニャ」と言い、それが縮まって「ブニャ」になったというわけです。

炭を売るには炭を確保する小さな店舗が必要となります。これは商売としてのリスクでもあり、同時にチャンスでもありました。
水運びの男達は、 妻帯者のほとんどは妻子を故郷に置いてやって来ているわけでしたが、宿の狭い一部屋に3,4台のベッドを入れて一人月約6フランの家賃でむさくるしい合宿暮らしをしていました。そこに女たちが掃除、洗濯、料理のために故郷からやって来ると、男達に負けず劣らず働き者のオーヴェルニュ女、水運びも手伝い、また炭の店番もする様になりました。男達が配達に出かけている間、店ではついでに野菜や果物も売っていたようです。
配達は50kgもの炭を水と同じように階上まで運ぶのでしたが、雨の日には濡れた袋の重みはさらに増しました。
当時彼らは他にも、街灯の火を灯す仕事をして稼いでいました。1日1時間位と決まっていましたから、少なくても定額の収入になったのです。
こういった小さな稼ぎをコツコツ貯めながら、彼らが楽しみに日に足げに通ったのは酒屋でした。
ここで一杯ひっかけて燃料補給。オーヴェルニュ人は実はすごい酒飲みなのです。(確かアルコール中毒が最も多い地方・・・じゃなかったかな?(;-_-)
そのせいでしょうか、炭のほかに自分達でワインを売るようになったのです。質素で厳格な気風を持つ彼らは教会からのお墨付きを得て炭兼酒屋になりました。

これが、ブラッスリー、そしてパリのカフェの始まりでした。

ふぅ〜〜タイムマシンの駆け足でした〜。


* 参考サイト:以上はHistoire-Généalogie Métiers de nos ancêtresLes aveyronnais de Paris を元に書いています。

あら?でもまだ、質問にお答えしていませんでした?(∩_∩;)

ここでようやっと質問に戻ります。(^-^)

(探してみた仏語のサイトでも答えは見つかりませんでしたので、私の体験からの感想を書きますね。)
 
 

2005年01月23日(日)
トラム(LRT)敷設工事

 
路面電車というと日本では古めかしいイメージがあるかもしれませんが、環境にやさしい乗り物ということで、フランスではトラムという名であちこちで取り入れられています。それも最新精鋭のトラムです。
クレルモン・フェラン市もそれに習ったわけですが、特徴は、クレルモンはタイヤのミシュランの本拠地でもあるため、トラムの車輪は鉄輪ではなくゴムタイヤ式になったことです。

郊外から街への乗り入れがトラムになることで、
自家用車の利用を抑え排気ガス量を減らす。
子供やお年寄り、障害者らにも安全な足になれる。
低所得者にも利用できる料金で公共交通の利用者を増やす。
そんなコンセプトに基づいているようです。

現在は広範囲に渡る長期工事で、バスの路線も通勤路も大変更。

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迂回に迂回を繰り返す上、工事の進み具合によって朝夕で使える道が違ったりします。
そのせいで街の中心への客足が激減し、このところ商店は苦い思いをしているそう。
高い工事費は税金からだし、目的地に着くには工事前の何倍もかかるし、住民の負担はかなりなもの。
それでも完成したあかつきには、長い目でみて良かったと思える街に成長していることを願っています。

 
 

2005年01月21日(金)
Clermont Ferrand Jaude広場

 
クレルモン・フェラン市はただいま大工事中。
2006年秋に開通する予定のトラム(路面電車/LRT)の線路設置のため、街中が大改革なのです。
中心のジョード広場もご覧の通り。
工事予算は3億ユーロ(400億円くらい)。

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